弟子物語 番外編 (坂根龍我 作品 紹介№246)
《訳あり幼馴染みの思い出は・・》
とても長いです。2回に分けようかとも考えましたが、
想いが分断されるようで嫌だったので一度気に載せてしまいました。
お時間が許せば一読を。f^_^;
幼馴染みと言うと、一般に何か甘酸っぱい思い出と繋がるように思われがちだが、
それは女の子に囲まれていた一部のモテる方々のお話しであって、ハナ垂らして走り回っていたガキにはそんな洒落た甘さは無い。
幼い頃、彼と何処でどうやって知りあったのか今ではもうわからない。
虫採り、カエル釣り、木登り、雪玉遊び。
気がつけば、日が暮れるまでほぼ毎日一緒に遊んでいた。
T君との思い出。
きっと彼が僕にとって幼馴染みと呼べる存在なんだろう。
と言っても、今はもう連絡先も判らなくなっているのだが。
やぁーい!やぁーい!アホのTや!
お前の脳ミソ腐ったぬかみそー!
こっち来んなーー‼︎
子供とは得てして残酷なモノだ。
彼を見つけると、子供らは遊んでいた空き地や家の間の路地からバラバラと集まって来ては、囃し立て、非難する。
T君は今で言う知的障害児であった。計算が全くできなかったし、それぞれのお金の価値も理解していなかった。
また、物覚えもすこぶる悪かったのだが、一度覚えてしまうと頑固なまでに忘れなかった。
しかしその他は、かなり不器用に見えるくらいで、見た目には言われても分からない程のものだった。
いや、それどころか彼の心は豊かで、悲しみや傷を隠すだけの裁量を備えていたんだと今あらためて思っている。
「 僕の小さい時・・、赤ちゃんの時な。 僕を抱っこしてたヒトが、僕を落とさはってん。 僕、頭うってな、そんでアホなってん。」
彼はいつも自分の事をそう言っていた。
スラスラと淀みなく話す彼の物語は、きっと誰か大人に何度も含まされていたのだろう。
どこでもよく聞いた物話だ。
子供は日々想像の世界に生きている。
池でカエル釣りをしていても、僕たちは大海の中でヌメヌメとうごめく怪獣と戦っていたし、木に登れば山をもまたぐ巨人になった。
T君は、そんな僕の空想にいつも喜んで付き合ってくれ、アンタ凄いなぁ凄いなぁ!とニコニコして言ってくれたものだった。
僕は、そんな陽だまりのような彼の優しさが大好きだった。
いつだったか、彼にたずねた事がある。
「なぁ、いっつもみんなにあんな事言われて、悔しない?悲しない?みんな、やっつけたろ!思わへん?」
これも子供特有の無邪気な残酷さではなかっただろうか。
T君は少し俯き、ちょっとだけ苦しそうに言った。
「う〜ん、わからへん・・・。
悲しない事ないけどな・・・。
僕、ホンマにアホやし、きっと弱いし・・。
けどな、兄ちゃん、姉ちゃん、すごい頭ええねんで!
きっと、僕の分、僕が頭打った拍子にそっち行ってもたんかな・・。
そやからかな、姉ちゃん、凄い優しいんや。」
子供心に、聞いてはいけなかったと思った。
同時に訳の解らない 怒り が僕を襲った。
囃し立てる子供らには勿論、T君の頭の分まで取ってしまったという彼の兄さんや、彼に優しい姉さんにまで。
ある冬の日、いつも2人で遊びに行く森の中の池に分厚い氷が張っていた。
それを見た僕の空想は膨らむばかり!
たちまち池はスリリングなアドベンチャーワールドに姿を変えた。
隠された秘宝を求めて僕は氷の池に踏み出したのだ。T君の制止を振り切って。
その池はすり鉢状になっていて、危ないからといつも大人から注意されていた池だった。
氷の上を歩くのはとても不思議な感覚で、氷1枚で水の上を歩いているような高揚感に包まれていた僕はつい進み過ぎてしまった。
ピシッ!
足下の氷が嫌な音を立てたかと思った瞬間、僕の身体は水の中に吸い込まれてしまった。
幸いすり鉢状の深い部分にまでは到達していなかったが、腰の上まで冬の池の水に浸かってしまい、ヘドロのような池底に足を取られ、
更にいきなりの恐怖と痺れる冷たさに頭はパニックを起こし、身動き出来なくなっていた。
驚きと恐怖で泣くのも忘れ、頭だけで振り返った時、T君がこっちに来るのが見えた。
池の淵から地団駄を踏むように氷を割り、冷たい水を物ともせず、
ザバザバとただ一心に怒ったように僕の方へ向かって来る。
そして、子供とは思えぬ力強さで僕の腰を引っ張り上げてまたザバザバと戻り、助け上げてくれたのだ。
「そやから言うたで!僕、危ない言うたで!」
彼の声に我に返った時、ようやく熱いものがこみ上げて来た。
それは、痺れた頭の中を溶かす勢いで涙と声になって溢れ出た。
僕はT君の濡れて冷たいセーターにしがみついて安堵に泣いた。
そんな僕の頭にそっと手を置いたT君は
帰ろ、な、帰ろ。と繰り返していた。
びしょ濡れで帰った僕たちが、双方の親にこっぴどく叱られたのは言うまでもない。
当たり前の事だが、僕に至ってはT君の家にまで連れて行かれ、「僕のせいです!ごめんなさい!」と詫びを入れさせられたのだ。
T君のお母さんが 「あら!まぁ!」と言い。
カステラを切って出してくれ、T君と僕は彼の家の炬燵に入り、温かいお茶をいただきながら仲良く食べた。
謝りに行って、ご馳走になるとはいい気なものである。
ただし、2人とも今後一切あの池には近づかない事を強く約束させられた。
子供の頃はこんな関係が永遠に続くように思うものである。
僕が小学校3年になる頃、ウチは引っ越した。
電車で僅かひと駅だったが、子供にとっては大きな距離である。
T君との仲も徐々に疎遠になっていき、中学、高校になると連絡を取り合う事も無くなった。
彼は中学を卒業後、車の板金修理の町工場に就職したと聞いた。
日曜の朝、珍しく家にいた僕は電話の音に目を覚まされた。
「・・はい・・もしもし・・・」
出てみるとT君だった
「もしもし!僕や!Tや!なぁ、これからそっち行って会いたいんやけど!」
思いがけない言葉に嬉しくなった。無論断る理由などあるはずもない。
「おぉ!久しぶりやなぁー!ええよ! 会おうや!じゃ、駅まで迎えに行くから!」
電車から降りて来たT君は、子供の頃と変わらない笑顔で手を振り、僕に近づいて来た。
「やぁ!」
「よぉ!よー来たなぁ、ウチ来いよ!」
改札を出たT君を連れ立って、僕たちは久しぶりに肩を並べて歩いた。
ウチについたら、たくさん話そう!
伝えたい事が山ほどあるんだ!
この時はそう思っていたんだ。
幼い頃に遊んだあの頃のように、また屈託なく話せると思っていたんだ。
ウチに着くと、僕はすぐに自分の部屋にT君を招き入れた。
飲み物を入れ、早速お互いの現在の事柄から、今迄積もりに積もった話しに花を咲かせようとした。
彼が口火を切った。
「アンタ、高校生やな。」
「 おぉ、そうや!2年になった!」
「 僕な、今車直す工場で働いてるんや。」
「 聞いてるぞ! 頑張ってるんやなぁ!Tの方が先に社会人や。俺の先輩やなぁ。」
「・・・あれ、ギターか?」
「そや!俺なバンドやっとる。
ま、やらされてる言うた方がエエかな。 お、そや!この間もな・・・」
「あの頃、楽しかったなぁ。アンタ、木登りして巨人や!言うて、敵の山を踏み潰せー!言うて。
セミにおしっこかけられて、宇宙人の逆襲や!笑笑」
「・・・そんな事あったかな・・。
それよりこれ見てくれや!この間のライブでな・・・」
「ライブ?て?・・何?」
「 あ、あ、そか・・、あの・・沢山の人前で演奏する事や・・・。
・・・そや!Tの働いてる工場てどんなとこなん?どんな仕事してんのや?車直すなんて凄いなぁ!」
「うん、広いとこやで。そやけど、僕アホやからなかなか仕事 覚えられへんし・・。難しわ・・。
・・・高校てどんなん?」
「あ?あぁ、高校な!まぁ、中学の延長みたいなモンやけどな。
単位があるからなぁ。赤点取るとマズイ!数学の幾何が特に苦手やからなぁ。」
「アカテン?キカ? ・・・ふう〜ん・・・
あ!あの、トンボ採った空き地な、今家建ってる。 そう言うたら、あの時のトンボ大きかったなぁ。
アンタ、これはこの辺りの王様や!言うて、それで・・・・・。」
全ての話しが噛み合わない。
彼の時の流れは実に緩やかで、幼い頃遊んだ記憶は彼の中では記憶では無く、まだ出来事のままだった。
結局、話しは盛り上がらないまま彼を返す時間が来てしまった。
駅の改札口
「・・・なぁ、また来てええか?」
「おぉ、いつでもまた来いや。」
応えたものの、正直な気持ちは困っていた。
現在を話せない気詰まりな時間は僕にとってかなり辛かったのである。
「そしたら、帰るわ。」
と少し寂しそうにT君は僕に告げ、切符を買おうと窓口へ向かったのだが・・・。
「お客さん、冗談は困ります!ちゃんと払って下さいよ!」
「・・・んぅ・・・ん・・・」
当時小さい駅では、まだ切符を窓口で手売りしていた。
その窓口で、明らかにイラついた駅員の声と下を向いて困っているT君の姿。
驚いて駆け寄ってみると、彼の手の平には10円玉と五円玉が乗っており、T君はそれを見つめて苦しそうに困っていた。
僕が駆けて来たのを見た駅員は、僕を彼の知り合いと認め、僕の次の行動を予想してなのか更に強い口調でT君に言った。
「 ね、お客さん、早くちゃんと払って下さい!
今時15円で切符買えるわけないでしょ。冗談は困ります!」
「あ、すみません!僕が今払いますから!」
ポケットから小銭を出して、僕は不機嫌な駅員からひと駅分の切符を買い、T君に渡してやった。
「・・・ゴメンな・・ゴメンな・・・
僕、やっぱりアホやから・・・
アンタにメイワクかけてしもた・・。」
そう言って、T君は俯いたまま僕に15円を差し出した。
その時、僕の時間はやっと逆回転を始め、僕はT君と一緒にトンボ採りに夢中になっていた幼い頃の自分に戻ったんだ。
T君に15円をしまわせてから僕は言った。
「何言うてんねん!メイワクなんてかけられてへん!
俺が冬の池に落ちた時、助けてくれたん誰やねん!Tは俺の命の恩人やないか!」
T君はやっと顔をあげて、ニッコリ笑ってくれた。
「冷たかったなぁ。アンタ、急に泣き出すから僕、どうしょうか思た。」
「な、Tのウチのカステラ美味かったなぁ。どエライ怒られたけどな! 炬燵、あったかかった。」
「うん、あ、電車来るし、乗るわ。また来る!」
「おぉ、また来てくれ!」
彼を見送った後、僕の世界はまた元の時間を取り戻してしまった。
無愛想な駅員に軽く会釈をして家へと歩き出す。
辺りの景色が薄っすらと滲み、頬を熱い雫が流れた。
T君は純粋に僕に会いたくてやって来た。
切符の値段を小銭と相談する事すらせずに。
いや、正確にはまだ出来なかったんだ。
その事が余計に僕の涙を止めようとしなかった。
彼はきっと今の環境に戸惑っていたのだろう。
そして、僕に会えば何かが解ると考えたのではないだろうか。
そんな彼を思う事も無く、僕は彼を帰してしまった。
噛み合わない想いを煩わしくさえ感じてしまったのだ。
自分が悲しかった。
成長が悲しかった。
T君が悲しかった。
15円が悲しかった。
駅員が悲しかった。
結局T君とはあの日以来ゆっくりと会う事はなかった。
おそらく二人とも連絡を取る事がこわかったのだ。
やがて僕は何とか無事高校を卒業し、蒔絵師のタマゴとして弟子入りを許され、修行の毎日を送っていた。
そんなある日、どこから情報を得て来たのか母が言った。
「T君のお兄さん、ほら頭のええ、勉強のよー出来たお兄さん。
アンタも知ってるやろ。 大変なんやて。
なんか、心を病んでしまったか何かで引き篭もってはるんやて。
で、ほらお姉さんなぁ。
かわいくて明るい優しいお姉さんやったのになぁ。お姉さんも色々あったみたいで、ちょっと働けない状態なんやて。
お父さんも亡くなったはるしなぁ。」
「・・・え⁈
ほな、Tんとこエライ事やないか!どうしてるんやろ、あいつ・・・。」
T君のお母さんは身体があまり丈夫ではなかった事から働く事は不可能だと思われた。
「それがなぁ、凄いんよ!」
母の話しはいつもこうだ。
最後まできっちりと自分の喋る事を聞かせようと話しを構築する。
「T君な、今バリバリ働いてあのコが家を支えてるんやて!
何でもな、覚えは悪いけど、上司の方の言う事、ハイ、ハイ言うて素直に聞くし一生懸命で、一旦覚えた事は絶対忘れん言うて、皆んなに可愛がられてな、何と今は後輩に教えてる立場なんやてー‼︎
社長さんもええ方みたいでな、このコは見込みがある!言うて、お給料もちゃんとしっかりした額もろたはるみたいやで!
な、凄いやろ!アンタもちょっとは見習いや!T君の素直で皆んなに好かれるとこ。」
最後の言葉は余計だったが、彼の現状を聞いて驚きと共に嬉しくてならなかった。
彼の兄さん、姉さん、またお母さんには大変申し訳なく、気の毒に思ったが、僕には彼の大躍進が堪らなかったのだ!
「・・・そうかぁ・・あいつがなぁ・・
やりおったなぁ。」
ザマァミロ‼︎と言いたかった。
今はもう大人になっているだろう、T君を囃し立て、嘲笑ったガキどもに!
彼に、お前は赤ん坊の頃頭を打ってアホになったと吹き込んだ大人に!
15円の小銭にイラついた駅員に!
そして何より今の自分自身に!
やったな!と言いたかった。
木登りと空想につき合ってくれたT君に!
氷の池から僕を助け出してくれたT君に!
アンタ凄いなと言ってくれたT君に!
僕と話しが噛み合わず、寂しそうに帰ってしまったT君に!
君こそ凄いよ!君は凄いんだよ!
すぐにでも連絡を入れたかったが、携帯電話なんて影も形もない頃である。
個人に繋がる事はない。
彼の家の現状を思い、連絡は差し控えた。
連絡の好機を逸してしまい、それから3年程経った頃だったと思う。
師匠からの用事を言い付かり、僕は京都の繁華街に出掛けた。
街を急ぎ足で歩いていると、知った顔が向こうから歩いて来る。
何と、きちんとスーツを着たT君だった。
正しくはスーツに着られているという感じだったが。
彼も僕を見つけたようで、とたんにニコニコ顔で小走りに近づいて来た。
「よお!久しぶり!元気にしてるみたいやなぁ!」
「アンタも!
こんなトコで会うとは思わんかった!何してんの?」
「おぉ、顔見られて嬉しいわ。なんや、頑張ってんねてなぁ!ちょっとだけやけど話しには聞いてるで。
今、師匠の代わりにちょっと用事を済ませに行ってたんや。良かったらその辺でお茶でも飲まへんか?」
「そうか!アンタも頑張ってんのやな!
・・あぁ、悪いけど、今時間無いんや。このコら連れて得意先に挨拶回りせんなんね。」
見るとT君の後ろにこざっぱりとした作業着を着た男の子が3人立っていた。
いずれの顔も高校を卒業したてのような、まだ少し幼さの残る顔立ちだった。
「そうか、そら残念やな。そしたらまたいつかゆっくり会おうや。」
「うん、せやな!またいつか!」
T君はそう言って、3人を引き連れて足速に去って行った。
繁華街であったにもかかわらず、彼の後に澄んだ風が通り過ぎて行ったように感じた。
何より僕の誘いをふったT君が小気味良かった。
これから彼の部下になるであろう若者を引き連れて、足速に行くT君がカッコ良かった。
・・・僕、アホやから・・・
そんな形容はもうどこにも見つからなく、彼は爽やかに去って行ったのだ。
あれから現在に至るまで、残念ながら彼には会っていない。
生来の放浪癖からか、僕は住まいを転々とし、彼の連絡先もいつしか失くしてしまっていたのだ。
T君、あれから世の中も変わったよ。
酷しい時代をむかえている。 君はどうしてる?
T君、もし今会えたら
2人の話しは噛み合うのかな。
いや、噛み合わなかったとしても、心はまた繋がり始めるんじゃないだろうか。
「アンタ 」の声を聞きながら、また2人で空想の世界を楽しむのも悪くない。
また、どこかで偶然があれば・・・。
そんな事を僕は今、思っている。
幼馴染み・・・。
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