〜徒然なるままに ② (坂根龍我 作品 紹介 番外2 )
‥‥そして、「これ、ぼんさんに。」と渡されたお祝いは、まだ小さな僕には両手で抱えるのも大変な大きな包みだった。
包みを開けて箱の蓋を取ると、鉛筆削り器、筆箱、綺麗な色の鉛筆やコンパス、分度器、定規など文房具がまるでおもちゃ箱のようにセットになっていた。
それらはバラバラに買って詰めたものではなく、キチンとそれぞれの場所に収められていて、当時はまだ珍しい、セット販売されている高級な品だと一目でわかるものだった。
現在の僕の文房具好きは、もしかするとこの時の出来事に発端があるのかもしれない。
先の彼女の挨拶は僕には覚えがなく、かなり後になって母から聞いた口調なのだが、文房具に夢中になっている僕の手を、両の手で優しく握って彼女が言った言葉は何故か今もハッキリと覚えている。
「ボンさん、ぎょうさんお勉強しゃはって、偉ぅて優しい人になっておくれやす。」
この後の記憶がもう僕には曖昧で、無いに等しい。
その人がどれくらいうちに居たのか、どんな話しをしたのか全く思い出せない。
それどころか、実は顔も覚えていないのだ。
薄い浅葱色と淡いみどりに染められた涼しげな着物の色、白い日傘、僕の手を包んだ白くて細い綺麗な指、片手で袂とを押さえバイバイをしてくれた優しい立ち姿。
春の淡い風の中に去って行く後ろ姿だけが、ただ「美しいひと」として想い出をくすぐるように僕の中に生きているのである。
その後僕は学校のために、祖母に祇園に連れて行ってもらう事もなくなってしまい、いつしか置屋さんも芸妓、芸者さんも遠くなってしまったのだが、あの時にいただいた文房具セットの中の鉛筆削り器は本当に長く使っていた。
確か高校生の時もまだ使っていたように思っている。
祖母は97歳で天寿を全うしたが、最後まで筆と共に生きていた。
春の風が舞い、少し暖かくなる頃、懐かしく思い出す僕の大切な心象風景である。
浅葱色の彼女が言ってくれた「偉くて優しい人」には程遠い僕ではあるが、どうにかこうにかそれなりには生きている。
しかし・・・今、この歳で祇園で遊んでくれなんて言うと、とんでもなく元手がかかるんだろうなぁ。
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坂根 龍我 - 〜徒然なるままに〜 祖母は書家であった。... | Facebook
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