〜徒然なるままに〜①(~②) (坂根龍我 作品 紹介 番外1 )
祖母は書家であった。
表現する者が殆ど通る道のように、祖母も幾つか大きな公募展で受賞した経験を持っており、その腕前は段を超えて別格だったと聞いた事がある。
小学生の頃、何度か書展に同行し、大きな会場に飾られ受賞した祖母の作品を誇らしく見ていた記憶がある。
気丈な祖母は、80半ばくらいまで独りで暮らし、受賞経験や免状をもって自宅で書道教室を開いており、その収入で悠々と生活をしていた。
年齢層も広く、子供から大人までを教え、かなりの数の生徒さん達に囲まれていたように覚えている。
祖母は先様に出向いて教える事もしていた。
請われてそこの芸妓さん、芸者さんに字を教えていたのだ。
その置屋さんに出向く時、祖母はまだ学校に上がる前の幼い僕をよく連れて行ってくれた。
ベンガラ格子、少し薄暗く夏には涼しい香の香りのする部屋、色々な形の甘く美味しい落雁の味、祖母が教えている間、別室で僕を遊んでくれた優しい日本髪の少女の手、おはじき、お手玉、カルタ、髪をほどいたお姉さんに抱かれて入った風呂の湯の心地良かった事、まだ遠い記憶の中に生きている。
僕は「ボンさん、ボンさん」と皆から呼ばれてたいそう可愛がられていたようだった。
帰りにはいつもお菓子を土産に持たせてもらい「ボンさん、また、おいないや(また、おいでね)」の声を聞きながら、おそらく祖母の生徒さんだった何人もの芸妓、芸者さんに見送られて格子戸を後にした。
その日、もうすぐ小学校にあがるという日。少し風のある晴れた日だったように記憶している。
「ごめんくださいまし」と人が訪ねてきた。
迎えに出た母の「まぁまぁ、どうぞおあがりください」の声の後「へぇ、すんまへん、ほな失礼します。」と、着物姿の女性が入ってきた。
その人は、うちの玄関からの狭い上がり框に三つ指をついて部屋にいた親父に挨拶をした。
「お寛ぎのところ、かんにんどっせ。
いつもウチで◯◯先生(祖母の名前)にお世話になって、字ぃ教えてもろぅとります。
ボンさんがもうすぐ学校に上がらはるいうて聞きましたさかい、お祝いに寄せてもらいました。」
驚いた親父はドテラももひきのまま居住まいを正し「それはそれは・・」と彼女を招き入れた。
そして、「これ、ぼんさんに。」と渡されたお祝いは、まだ小さな僕には両手で抱えるのも大変な大きな包みだった。
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