waca-jhi's diary

笑いも涙も浄化には大きい力になるといいます。そしてカルチャーショックは気付きの第一歩、たとえ小さくても感動は行動への第一歩。

仏像 (坂根龍我 作品 紹介№15)

《百百のやわ》
 
 京都で蒔絵師の修行時代をおくったため、思い出は何かと加茂川と繋がっていたりする。
ただ僕の場合、甘酸っぱい事柄は2割ほどで、残りの8割はかなり「変」なのであるが。
 
弟子入り1年程して彼女が出来た。
恋愛などというものは、出合い頭の正面衝突のようなもので、そうそう避けられるものではない。
しかし、修行中の身において、これは由々しき事態なのである。
間違えていただいては困るのだが、どこかのアイドルグループのように、修行に差し支えるからと「恋愛禁止!」を言い渡されている訳ではない。
由々しき事態とは、ズバリ金がないからである。
つまり、少ない弟子の給金の中からデート代を捻出するのが、それはもう大変なのである。
それでも当時1万円も用意すれば、二人で映画を観て、少し洒落た昼食を食べ、ちょいとお茶して、個室喫茶なるトコロへシケ込んで【この個室喫茶とは、恋人同士が薄暗い場所で、誰はばかる事なく、二人きりになれ、ちょいとした素敵な事をする位ならいいですよーという、今は無き、とても文化的な施設の事である。姉妹施設で同伴喫茶という、薄暗くもチョイ軽めの施設も存在していた】彼女を家まで送り届けて、帰ってくる事位は十分出来た。
その日のデートは、連休初日だったため、いつものコースの他に、「まだもう少し一緒にいたい」と甘える彼女に「えぇい!ままよ!」と晩飯まで盛り込んでしまったため、彼女を送り届けて戻って来た時には、もう帰りの電車賃しか残っておらず、おまけに終電に乗り損ねてしまった。
実家までは、私鉄で50分かかるため、まぁ夏だからと、これも「ままよ!」と加茂川で野宿を決め込んだのだった。
 
人がいなくて、柔らかな草むらがある所を見つけ「よっこらしょ」と横になる。
草のヒンヤリとした冷たさが心地いい。
夏の虫の音も、遠く懐かしい子守唄のように聴こえ、空には満天の星空が広がっていた。
じっと見ていると分かるのだが、ひと晩のうちに結構流れ星は走っているものなのである。
 
心地いい微睡みに落ちて、そんなに長くはなかったと思うのだが、少しの肌寒さと、ザックザックという足音に夢見心地を中断された。
その足音は僕の頭の真横で止まり・・・動かない。
止まった足音の方に頭だけ向けて、目を開いて見てみた。
親指があった。
「・・!?」
並んでもう1つ親指があった。
「!!??!」
その親指から順に上へと目を移して見ると、人の頭とおぼしき場所で、やけに白い歯と目がニマ~っと笑ったのである!
「・・何してんのん?」
笑った歯が喋った!
 
「・・・・ひっ!?」
 
「寝てんのん?」
 
「・・・は、い??!」
 
お乞食さんだった。
今はホームレスなどと横文字の呼称でボカしているが、当時はお乞食さんとかおこもさんと呼んでいた。
 
爪先の開いてしまった靴にダブダブのズボン。
煮しめたようなシャツの上にシワだらけの顔があり、そこにへばり付いているイカスミの綿飴みたいな物体はどうやら髪の毛と推察された。
「にぃちゃん、いくら夏でも夜中は冷える、風邪引くとアカンよって、泊めたるしウチ来ぃ、遠慮せんでエエで~」
 
「・・ウ、チって?!」
 
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このページは 2013-11-17に投稿したものです。
僕の、悪魔のごとき無邪気な好奇心が、神のごとき理性をいともたやすく凌駕してしまい、僕は彼の後に続く事にした。
しばらく行くと、ある橋の袂、橋脚に辿り着いた。
橋脚の周りは金網で囲まれ、ブルーシートで覆われていて、金網の一角が長い半円に切り取られ、そこが入り口らしいと判った。
中は、小さな文机、漫画本、小説、ラジオなど、どこからか拾って来ただろうモノが、案外キレイに整頓されており、上から錆びた針金で懐中電灯までもが吊り下げられていた。
これは、結構居心地いいかも!
 
それらの片隅に、蒲団が一式畳まれていた。
何故かピンクのお花模様だった。
 
「蒲団は客人用やから、キレイにしたぁるよ。たまーに、にぃちゃんみたいな人がおるんでな。」何と、世話になったのは、僕だけではないという事か!
 
彼は通称「河原町のジュリー」だと名乗った。
このジュリーという呼称だが、今も現役で活躍されているシンガー、沢田研二氏の愛称であり、年配諸兄はよくご存知かと思うのだが、当時の彼のカリスマぶりは凄まじいものだった。
それはもう美しく儚げで、色気がありカッコよかった!
間近に彼を見たファンの女の子達は興奮のあまり、失禁して失神してしまう程だったのである。
今のキムタクの比ではないのである。
そんな、美男、イケメンの代名詞のようなお方の愛称を、京都のお乞食さんが冠していたなんぞ、当のご本人は知るよしもない事であろう。
 
幾重にも重ねた段ボールの床に蒲団を敷いて、潜り込んではみたが、なかなか寝つけるものではない。
それでも明け方近くには、多少の微睡みを覚えた。
 
気がつくと、もう太陽は高く昇っており、ブルーシート御殿の中は蒸し風呂状態だった。
暑さと香ばし過ぎる臭いにむせて起き上がった時、入り口からジュリーがヌッと顔を覗かせ、
「にぃちゃん、メシ食ぅてく?」
と訊いた。
 
「・・・は?メ、シ??」
 
またもや好奇心の悪魔に軍配が挙がってしまった。
 
外に出てみると、火を入れた四角いカンカンが川原に置かれ、その上に車のタイヤホイールが載せられており、銀色の盆に山盛りの肉を持って、ジュリーが立っていた。
 
「ま、一杯やろや」
洋酒のボトルを差し出され、欠けた茶碗で呑みながら、天下の加茂川で、朝からお乞食さんと焼き肉を食す事となった訳である。
 
訊くところによると、早朝より繁華街の焼肉屋の裏を2~3件あさり、前日の廃棄肉を集めて来たとの事。一晩、2~3件でこれ程の新鮮な廃棄肉が集まるとは!嗚呼、飽食日本、何処へ行く!なのである。
洋酒はというと、これまたスナックやバーの裏に出してある空ボトルから、一滴、二滴と気長に数週間かけて集めてくると一本分が出来上がるそうで。
飲んでみると、洋酒には違いないのだが、バーボンの味の後からスコッチが追いかけ、奥の方から控えめにブランデーの甘さがコンニチハというような摩訶不思議なものだった。
 
タイヤホイールで焼いた肉を、塩で頬張り、ジュリーと二人ですっかり食べ尽くし、更に彼のほぼ一週間分の労力を呑み、宿泊代は要らないと言うお言葉に甘え、加茂川から失礼する事にした。
もっとも、宿泊代と言われても電車賃しか持ち合わせてはいなかったのだが。
 
家に辿り着いたのは、昼をとうに過ぎた午後1時頃だったと記憶している。
家人は、オフクロとオヤジが休日でいるだけ。
僕の鉄砲玉の放浪癖はよ~く解っている両親なので呑気なものである。
 
が、この日は違った。
 
帰るや否や、オフクロに思い切り頭をはたかれ、後ろからオヤジの怒鳴り声が飛んできた。
「どこ行っとったんじゃ!このバカタレが!」
 
「・・っテーな!何すんね・・」
怒鳴り返そうとして目が点になった。
オフクロの後ろに、家人ではない顔がもう一つあったからだ。
 
目を真っ赤に泣き腫らした彼女がそこにいた。
 
「・・へ?」
何ともマヌケな声を漏らしてしまった。
 
僕が帰ったら、どんなに遅くても電話する約束だったのに、僕から全くかかってこなかったため(そう言えばそんな約束をした)彼女は家の電話の前で一晩を過ごし、心配でウチに電話をかけ、僕がまだ帰っていないと知ると動揺のあまり、泣きながらウチまで飛んできたという事だった。
自分が我が儘を言って遅くなったから、何か大変な事故にでもあったんじゃないかと思い込んだらしい。
オロオロと泣く彼女を慰めながら、全く心配していないオヤジとオフクロは、「あのバカ、どうしてくれよう!」と考えていたそうである。
 
角の生えたオフクロと、渋い顔をしているオヤジと、ただ泣くばかりの彼女に一晩の出来事を、解りやすく説明した。
オフクロは呆れたため息をつき、オヤジは天井を仰ぎ、彼女は信じてくれなかった。
 
オヤジから陰で渡された金を持って、僕はまた彼女を送り届ける事となった。
またもや加茂川方面へ逆戻りである。
 
僕の話しを信じてくれないばかりか、今度は違う疑念を僕に向け泣いている彼女を、僕は結局またあの橋脚まで連れて行く事にした。
 
僕に彼女を紹介された河原町のジュリーは、すっかり恐縮して舞い上がってしまい、イカスミの綿飴のような頭を無理矢理整えようと両手で撫で付けながら、「ほぅか、ベッピンさんやなー、かわエエなー、ほうか、ほうか」とシワの中の、やたら白い目を細めて笑っていた。 
彼女は、ジュリーに会釈したまま、不自然な形に体を固まらせてしまい、不自然な笑顔は引きつっていた。
 
取り敢えず、僕が嘘をついてはいない事を彼女に理解して貰い、「にぃちゃん、今日はちゃんと帰りやー!」のジュリーの声を尻目に彼女を送り届け、再び我が家に帰り着いた僕は、もうクタクタだった。
風呂に入り、すぐに寝てしまったが、やはり臭っていたのか、当日着ていた服は全てオフクロに捨てられてしまっていた。
 
その後、僕達の恋愛は2年程続いた後、あっけなく終わってしまった。
彼女の最後の言葉は「ごめんなさい、もう疲れてしまったの」だった。
とてもハタチや21歳で言える言葉ではない。
また、おそらく22歳や23歳で相手に言わしめる言葉でもない。
 
河原町のジュリーとは、酒を買って持って行って、一緒に呑んだり、その時に色んな話しもしたりと、しばらく交流があったのだが、いつの頃からか、全く姿を見なくなってしまい、橋脚の彼のウチも無くなってしまっていた。 
 
簡単に、相手の安否を確かめられるような携帯電話など、まだ姿かたちもない頃。
お乞食さんも、ジュリーなどと呼ばれ、3日やったら辞められない世界があった。
そんな時代の話である。
                             

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