waca-jhi's diary

笑いも涙も浄化には大きい力になるといいます。そしてカルチャーショックは気付きの第一歩、たとえ小さくても感動は行動への第一歩。

飾り箱 (坂根龍我作品 紹介No.33)

 彦根市の漆工芸家、坂根さんの作品を楽しみましょう】

 

  飾り箱 

作品展にも出品していた飾り箱、
晴れて嫁入りいたします。
 
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身の裏に名前を入れました。
 
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今一度、ご覧に入れたくUpいたします。 
 
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 この記事は彦根市の漆の工芸家、坂根龍我さんの了解をいただき、
F.B.投稿を2013-12-23に紹介させていただいた記事の再掲です
                             

 坂根さんの作品は目次にも使えるピンタレストに入れてあります。
いつでもどれでもお好みの作品を楽しんでください。
 

                             

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柘植櫛形帯飾り 三点 (坂根龍我 作品 紹介No.31 )

彦根市漆芸家、坂根龍我さんの作品を楽しみましょう】
この記事は2013-12/21に投稿したものの再掲です。
 
 
柘植櫛形帯飾り・枇杷、煙管、蝙蝠
 
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151 件の「「ur 漆の工芸」のアイデア探し - Pinterest」

                            

 

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難病克服のポイント

この50年、食べ物や環境が急激に変化し病気になりやすい体になっていると感じます。

難病や不調になった時に、症状をどう捉えるかで未来は大きく変わります。

この記事は「病気」ではなく「健康」の観点で読むためにFBページ
難病克服支援センターさんの了解の上、記事を転載しています。

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難病克服のポイント
http://kokufuku.jp/2018/07/15/blog-6/

 ご息女が五歳の時に筋ジストロフィーと診断され五年後には寝たきりになるとの宣告を受け、一時は悪化していたものが「小さな光を追いかけ続けた結果約四年で血液検査も正常に戻り、自力で立て、走れ、自転車に乗れるまで回復・・」との体験をもとに、難病克服支援センターを運営していらっしゃいます。

                  

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目次代わりにもお使いください。

                

 

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難病克服ストーリー vol.3

「絶対に私が治す!」

風邪との診断だった娘さんの状態が悪化し

不振を抱きながら別の病院へ

それでも医師は風邪との診断

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その後、便に血が混じり、立ってトイレにも行けなくなる我が子をみながら

この記事は「病気」ではなく「健康」の観点で読むためにFBページ
難病克服支援センターさんの了解の上、記事を転載しています。

「絶対に私が治す!」とお母さんは心に誓ったそうです。

難病克服ストーリー vol.3

kokufuku.jp

 ご息女が五歳の時に筋ジストロフィーと診断され五年後には寝たきりになるとの宣告を受け、一時は悪化していたものが「小さな光を追いかけ続けた結果約四年で血液検査も正常に戻り、自力で立て、走れ、自転車に乗れるまで回復・・」との体験をもとに、難病克服支援センターを運営していらっしゃいます。

                  

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嬉しいお知らせ

ベーチェット病、23歳の女性

17歳ごろからよく微熱が出ていたそうです。

20歳の時に左首のリンパ腺が腫れて、微熱が1週ほど続き極度な体重減少となりました。

病院でリンパ生検を受けると「亜急性壊死性リンパ節炎」との診断。

ステロイド投薬が治まる。

その際、3年間途切れることなく出ていた口内炎のことを先生に伝えたそうですが、特に気に留めてもらえなかったそうです。

その翌年から指の強張りと痛みが始まり、整形外科を受診するも血液検査では問題は見つかりませんでした。

数か月後、毛嚢炎が気になり総合病院を受診。

ベーチェット病と診断されました。

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その後、コルヒチンを服用しながら生活するも毛嚢炎や潰瘍、口腔内再発性アフタ性潰瘍と言われる口内炎が続きました。

ベーチェット病と診断されてから2年が経った頃に、当センターへ相談に来られました。

この記事は「病気」ではなく「健康」の観点で読むためにFBページ
難病克服支援センターさんの了解の上、記事を転載しています。

面談時に疲れるとリンパ節が腫れると言っておられました。

食事改善、七葉純茶、腸内環境改善、整体などを行い、1ヶ月後に1日2錠飲んでいたコルヒチンを1錠に減薬されました。

面談から3ヶ月後に潰瘍が出なくなり、口内炎の出る頻度が少なくなっていきました。

面談から5ヶ月後にコルヒチンを1日半錠に減薬。

面談から8ヶ月後には、口内炎がほとんど出なくなり、酷かった肩こりも治まりました。

その後、症状が出やすい冬も症状は出ることもなく、風邪すらひかずに調子が良かったとのことです。

面談から11ヶ月後(2018年2月)にコルヒチンを断薬されました。

断薬後、4ヶ月経った今、本人曰く「以前とは違う体に変わった実感があって、ベーチェット病の症状だけでなく、肩こりやリンパの腫れも全くない」とのことです。

1日中動き回っても、元気だとのことです。

いつ卒業式をしましょうか、と話しているのですが

断薬後、半年して調子が良い状態が続いていればということで9月くらいに予定しています。

よく微熱が出ていたりリンパ線が腫れたりしていたということは菌またはウィルスと戦っている状態です。

コルヒチンは白血球の働きを弱める薬ですが、薬で菌やウィルスと戦う力を奪うと、表面上の症状は薄れます。

しかし、それでは病気は治りませんよね。

減薬、断薬をされて、食事改善、デトックス、腸内環境を整えることで弱かった免疫力が上がり、病気を克服出来たんだと思います。

その道を選ばれたことが「以前とは違う体に変わった実感」に繋がったんだと思います。

嬉しいお知らせ

「頑張るみなさんの嬉しいお知らせ(難病回復例)」難病克服支援センター

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仏像 (坂根龍我 作品 紹介№15)

《百百のやわ》
 
 京都で蒔絵師の修行時代をおくったため、思い出は何かと加茂川と繋がっていたりする。
ただ僕の場合、甘酸っぱい事柄は2割ほどで、残りの8割はかなり「変」なのであるが。
 
弟子入り1年程して彼女が出来た。
恋愛などというものは、出合い頭の正面衝突のようなもので、そうそう避けられるものではない。
しかし、修行中の身において、これは由々しき事態なのである。
間違えていただいては困るのだが、どこかのアイドルグループのように、修行に差し支えるからと「恋愛禁止!」を言い渡されている訳ではない。
由々しき事態とは、ズバリ金がないからである。
つまり、少ない弟子の給金の中からデート代を捻出するのが、それはもう大変なのである。
それでも当時1万円も用意すれば、二人で映画を観て、少し洒落た昼食を食べ、ちょいとお茶して、個室喫茶なるトコロへシケ込んで【この個室喫茶とは、恋人同士が薄暗い場所で、誰はばかる事なく、二人きりになれ、ちょいとした素敵な事をする位ならいいですよーという、今は無き、とても文化的な施設の事である。姉妹施設で同伴喫茶という、薄暗くもチョイ軽めの施設も存在していた】彼女を家まで送り届けて、帰ってくる事位は十分出来た。
その日のデートは、連休初日だったため、いつものコースの他に、「まだもう少し一緒にいたい」と甘える彼女に「えぇい!ままよ!」と晩飯まで盛り込んでしまったため、彼女を送り届けて戻って来た時には、もう帰りの電車賃しか残っておらず、おまけに終電に乗り損ねてしまった。
実家までは、私鉄で50分かかるため、まぁ夏だからと、これも「ままよ!」と加茂川で野宿を決め込んだのだった。
 
人がいなくて、柔らかな草むらがある所を見つけ「よっこらしょ」と横になる。
草のヒンヤリとした冷たさが心地いい。
夏の虫の音も、遠く懐かしい子守唄のように聴こえ、空には満天の星空が広がっていた。
じっと見ていると分かるのだが、ひと晩のうちに結構流れ星は走っているものなのである。
 
心地いい微睡みに落ちて、そんなに長くはなかったと思うのだが、少しの肌寒さと、ザックザックという足音に夢見心地を中断された。
その足音は僕の頭の真横で止まり・・・動かない。
止まった足音の方に頭だけ向けて、目を開いて見てみた。
親指があった。
「・・!?」
並んでもう1つ親指があった。
「!!??!」
その親指から順に上へと目を移して見ると、人の頭とおぼしき場所で、やけに白い歯と目がニマ~っと笑ったのである!
「・・何してんのん?」
笑った歯が喋った!
 
「・・・・ひっ!?」
 
「寝てんのん?」
 
「・・・は、い??!」
 
お乞食さんだった。
今はホームレスなどと横文字の呼称でボカしているが、当時はお乞食さんとかおこもさんと呼んでいた。
 
爪先の開いてしまった靴にダブダブのズボン。
煮しめたようなシャツの上にシワだらけの顔があり、そこにへばり付いているイカスミの綿飴みたいな物体はどうやら髪の毛と推察された。
「にぃちゃん、いくら夏でも夜中は冷える、風邪引くとアカンよって、泊めたるしウチ来ぃ、遠慮せんでエエで~」
 
「・・ウ、チって?!」
 
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このページは 2013-11-17に投稿したものです。
僕の、悪魔のごとき無邪気な好奇心が、神のごとき理性をいともたやすく凌駕してしまい、僕は彼の後に続く事にした。
しばらく行くと、ある橋の袂、橋脚に辿り着いた。
橋脚の周りは金網で囲まれ、ブルーシートで覆われていて、金網の一角が長い半円に切り取られ、そこが入り口らしいと判った。
中は、小さな文机、漫画本、小説、ラジオなど、どこからか拾って来ただろうモノが、案外キレイに整頓されており、上から錆びた針金で懐中電灯までもが吊り下げられていた。
これは、結構居心地いいかも!
 
それらの片隅に、蒲団が一式畳まれていた。
何故かピンクのお花模様だった。
 
「蒲団は客人用やから、キレイにしたぁるよ。たまーに、にぃちゃんみたいな人がおるんでな。」何と、世話になったのは、僕だけではないという事か!
 
彼は通称「河原町のジュリー」だと名乗った。
このジュリーという呼称だが、今も現役で活躍されているシンガー、沢田研二氏の愛称であり、年配諸兄はよくご存知かと思うのだが、当時の彼のカリスマぶりは凄まじいものだった。
それはもう美しく儚げで、色気がありカッコよかった!
間近に彼を見たファンの女の子達は興奮のあまり、失禁して失神してしまう程だったのである。
今のキムタクの比ではないのである。
そんな、美男、イケメンの代名詞のようなお方の愛称を、京都のお乞食さんが冠していたなんぞ、当のご本人は知るよしもない事であろう。
 
幾重にも重ねた段ボールの床に蒲団を敷いて、潜り込んではみたが、なかなか寝つけるものではない。
それでも明け方近くには、多少の微睡みを覚えた。
 
気がつくと、もう太陽は高く昇っており、ブルーシート御殿の中は蒸し風呂状態だった。
暑さと香ばし過ぎる臭いにむせて起き上がった時、入り口からジュリーがヌッと顔を覗かせ、
「にぃちゃん、メシ食ぅてく?」
と訊いた。
 
「・・・は?メ、シ??」
 
またもや好奇心の悪魔に軍配が挙がってしまった。
 
外に出てみると、火を入れた四角いカンカンが川原に置かれ、その上に車のタイヤホイールが載せられており、銀色の盆に山盛りの肉を持って、ジュリーが立っていた。
 
「ま、一杯やろや」
洋酒のボトルを差し出され、欠けた茶碗で呑みながら、天下の加茂川で、朝からお乞食さんと焼き肉を食す事となった訳である。
 
訊くところによると、早朝より繁華街の焼肉屋の裏を2~3件あさり、前日の廃棄肉を集めて来たとの事。一晩、2~3件でこれ程の新鮮な廃棄肉が集まるとは!嗚呼、飽食日本、何処へ行く!なのである。
洋酒はというと、これまたスナックやバーの裏に出してある空ボトルから、一滴、二滴と気長に数週間かけて集めてくると一本分が出来上がるそうで。
飲んでみると、洋酒には違いないのだが、バーボンの味の後からスコッチが追いかけ、奥の方から控えめにブランデーの甘さがコンニチハというような摩訶不思議なものだった。
 
タイヤホイールで焼いた肉を、塩で頬張り、ジュリーと二人ですっかり食べ尽くし、更に彼のほぼ一週間分の労力を呑み、宿泊代は要らないと言うお言葉に甘え、加茂川から失礼する事にした。
もっとも、宿泊代と言われても電車賃しか持ち合わせてはいなかったのだが。
 
家に辿り着いたのは、昼をとうに過ぎた午後1時頃だったと記憶している。
家人は、オフクロとオヤジが休日でいるだけ。
僕の鉄砲玉の放浪癖はよ~く解っている両親なので呑気なものである。
 
が、この日は違った。
 
帰るや否や、オフクロに思い切り頭をはたかれ、後ろからオヤジの怒鳴り声が飛んできた。
「どこ行っとったんじゃ!このバカタレが!」
 
「・・っテーな!何すんね・・」
怒鳴り返そうとして目が点になった。
オフクロの後ろに、家人ではない顔がもう一つあったからだ。
 
目を真っ赤に泣き腫らした彼女がそこにいた。
 
「・・へ?」
何ともマヌケな声を漏らしてしまった。
 
僕が帰ったら、どんなに遅くても電話する約束だったのに、僕から全くかかってこなかったため(そう言えばそんな約束をした)彼女は家の電話の前で一晩を過ごし、心配でウチに電話をかけ、僕がまだ帰っていないと知ると動揺のあまり、泣きながらウチまで飛んできたという事だった。
自分が我が儘を言って遅くなったから、何か大変な事故にでもあったんじゃないかと思い込んだらしい。
オロオロと泣く彼女を慰めながら、全く心配していないオヤジとオフクロは、「あのバカ、どうしてくれよう!」と考えていたそうである。
 
角の生えたオフクロと、渋い顔をしているオヤジと、ただ泣くばかりの彼女に一晩の出来事を、解りやすく説明した。
オフクロは呆れたため息をつき、オヤジは天井を仰ぎ、彼女は信じてくれなかった。
 
オヤジから陰で渡された金を持って、僕はまた彼女を送り届ける事となった。
またもや加茂川方面へ逆戻りである。
 
僕の話しを信じてくれないばかりか、今度は違う疑念を僕に向け泣いている彼女を、僕は結局またあの橋脚まで連れて行く事にした。
 
僕に彼女を紹介された河原町のジュリーは、すっかり恐縮して舞い上がってしまい、イカスミの綿飴のような頭を無理矢理整えようと両手で撫で付けながら、「ほぅか、ベッピンさんやなー、かわエエなー、ほうか、ほうか」とシワの中の、やたら白い目を細めて笑っていた。 
彼女は、ジュリーに会釈したまま、不自然な形に体を固まらせてしまい、不自然な笑顔は引きつっていた。
 
取り敢えず、僕が嘘をついてはいない事を彼女に理解して貰い、「にぃちゃん、今日はちゃんと帰りやー!」のジュリーの声を尻目に彼女を送り届け、再び我が家に帰り着いた僕は、もうクタクタだった。
風呂に入り、すぐに寝てしまったが、やはり臭っていたのか、当日着ていた服は全てオフクロに捨てられてしまっていた。
 
その後、僕達の恋愛は2年程続いた後、あっけなく終わってしまった。
彼女の最後の言葉は「ごめんなさい、もう疲れてしまったの」だった。
とてもハタチや21歳で言える言葉ではない。
また、おそらく22歳や23歳で相手に言わしめる言葉でもない。
 
河原町のジュリーとは、酒を買って持って行って、一緒に呑んだり、その時に色んな話しもしたりと、しばらく交流があったのだが、いつの頃からか、全く姿を見なくなってしまい、橋脚の彼のウチも無くなってしまっていた。 
 
簡単に、相手の安否を確かめられるような携帯電話など、まだ姿かたちもない頃。
お乞食さんも、ジュリーなどと呼ばれ、3日やったら辞められない世界があった。
そんな時代の話である。
                             

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仏像 (坂根龍我 作品 紹介№23)

彦根市漆芸家、坂根さんの作品を楽しみましょう】
この記事は2013-12/4に投稿したものです。
 
 
《 百百のやわ 》 仏像
 
弟子の頃、よく師匠に連れて行ってもらったスナックにYoちゃんはいた。
 
ガッシリとした大柄で、パンチパーマ。向こう傷の顔に金のネックレスとくれば、間違いなく反社会的組織団体の、ご一員かと思われたのだが、話してみるとそうではなかった。
しかし、その生活ぶりはかなり怪しいモノだったが。
 
イブとクリスマスの二日間だけ、店で行うライブを手伝って欲しいと頼まれた事から、僕たちは急速に仲良くなっていった。
 
ライブと言っても、そこはスナック。紫色の照明にムード歌謡中心で、「ロック命!」だった僕にはかなり衝撃的であり、ギターはおろか、ドラム、ケーナ、ボーカルとコキ使われ、Yoちゃんはと言えば、酔っ払って客と楽しんでおり、いったい誰が中心なのか分からないというシロモノであったが、帰りに貰うデッカイ寿司折りと酒に釣られて2日間を乗り切った。
 
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たまたま家が近かったせいもあり、Yoちゃんとはよく二人で飲みにも出かけたのだが、「お前はいつか、ゲージツカのセンセになるんやから、しょうもない事に金使うな。」と言って、いつも僕には全く金を使わせなかった。
 
その店は、まだ若いママが一人で切り盛りしている、カウンターだけの小さなスナックだった。
 
いつも奢られているばかりでは、気兼ねして嫌だ!
酒も旨くないし、友人として対等の話しが出来ない。と不服を訴える僕の言葉に、Yoちゃんは腕を組み、しばらくうつ向いて、今度は上を向いて、何をか考えていたが、やがて「分かった」とつぶやき、「また連絡する」と言って飲み代を置くと、帰って行ってしまった。
 
気まずい一週間程が経った頃、Yoちゃんから連絡があった。
先日のスナックへの誘いだった。
 
仕事を終え行ってみると、果たしてYoちゃんは店にいた。
しかも、何故かカウンターの向こうに、真っ白のシャツを着て満面の笑顔で立っていたのだ。
「おぅ!お前今日からこの店タダやからな。ワシも、タダや。」
 
「・・・は?・え?」
 
訝る僕の目に若いママの姿が映った。
照れたように、シナを作るママに、いくら鈍い僕でも解ってしまった!
 
何とYoちゃんはママとやっちゃったのだ!
 
で、この店にイロとして入り込んでしまったのだ!
僅か一週間のうちに!!
 
「な、エエ解決方法やろ~。これでお前もワシも気兼ねなく飲めるし、お前はゲージツに金使えるっちゅうわけや!」
したり顔で満足そうにウンウンとうなずくYoちゃんと、Yoちゃんにペトっと寄り添うママを前にして、その夜僕はウィスキーのロックを5杯空け、珍しく悪酔いしてしまったのだった。
弟子修行も折り返しに差しかった頃だった。
 
その後僕はYoちゃんからスキューバダイビングを教わる事になった。
練習に行った日の夕方の海辺で、
「内緒やど」と言ってYoちゃんは、海パンの内腿をチラとめくり、自分で彫ったという牡丹の刺青を僕に見せた。
いや、正確に言うと、『牡丹らしき』刺青を僕に見せたのだった。
 
そして困った顔で言った。
「・・あのな、頼みがあんねん。お前、センセになったら、牡丹の絵、描いてくれへんかなぁ。
ワシ、それ元にちゃんと彫師に彫ってもらうし。アカンかなぁ・・・。」
刺青という事に少し躊躇したが、Yoちゃんの顔を見ていたらそんな気持ちなど消えてしまった。
「ええよ、今まだ、修行中やから上手い事描けへんけど、独立したらな。」
「おおっ!約束や!」
Yoちゃんはとても喜んでくれた。
ホントに嬉しそうな顔が夕日に照らされて、Yoちゃんはどこにでもいる素っカタギの青年に見えた。
 
そんなYoちゃんと会えなくなったのは、僕の独立が決まって間もなくの事だった。
 
独立祝いの名目により、件のスナックで、Yoちゃんのおかげのタダ酒を呑み、散々騒いだ後でYoちゃんは僕に言った。
「さ、これでおしまいや。
ワシ、もうお前とは会わん。」
 
「何をしょうもない事言うてんねん!」
 
「いや、ホンマや。 
お前はこれからセンセにならなアカン! ワシみたいなモンが側におったらアカン。 つるんどったらアカンのや!ワシ、足ひっぱるかも知れんしな。
ワシ、生き方変えられへんから。
ワシ、みんな成り損ないやねん。
せやし、もう一遍、男かけたいねん。
これで、ワシらはお・し・ま・いや」
 
その演出、物言い、仕草が全て芝居がかっていてちょっと可笑しかったのだが、Yoちゃんは至極真剣だった。
すぐに又会える、とたかをくくっていたのだが、それっきりYoちゃんはどこにも居なくなってしまった。
 
アパートも引き払い、誰にも行く先は告げられていなかった。
救いは、例のスナックのママも一緒にいなくなってしまった事だった。
二人で何処かに消えたのなら、まだ淋しくはなかっただろう。と勝手に思い込んでいる。
 
思えば僕はいったいどれ位の人に護ってもらって来たのだろう。
助けてもらって来たのだろう。
 
今も、そしてこれからも。
 
Yoちゃん、僕は今なら牡丹をもう描けるよ。
Yoちゃんの言うゲージツカのセンセにはなれないと思うけど。
 
約束はまだ果たされていない。
                             

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仏像 (坂根龍我 作品 紹介№14)

 彦根市の漆の工芸家、坂根龍我さんの作品を楽しみましょう】
 
仏像
 
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このページは 2013-11-17に投稿したものです。
                             

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難病克服もマラソンもゴールできたよ!

2016年に相談に来られた女性が視神経脊髄炎という難病を克服し今年の2月にフルマラソンを完走しました。

小さな子供2人がいる中での発症でした。

いろんな思いで闘病生活を送られていたと思います。

闘病中の彼女をサポートする中で感じたことは
「不安や恐怖の中で希望を持ち続けること」の大切さでした。

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現在は自分の闘病経験を活かし講演活動や難病の方のサポートをされています。

そんな彼女の難病克服ストーリーです。

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【難病克服もマラソンもゴールできたよ!】

2018年2月、愛媛マラソン42.195Kmを
完走しました !!

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金粉を蒔くという作業 (坂根龍我 作品 紹介№411 )

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プロローグ

注文していた蒔絵用の金粉が届いた。

僕に「金」は「¥」には見えない。ただの「高い材料」なんだ。

先物取引の会社と名乗るトコロからよく電話がくる。

金を買いませんか!って。笑

あのな、俺には材料なんだ。

とっとと他あたれ!いつもの断り文句。

不思議だな。金を受け取った瞬間、酒の酔いが醒める。

さあ、勝負だ!

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金粉を蒔くという作業

蒔きたい部分を全て塗り上げて、粉筒(ふんづつ)にすくい指でふるいながら蒔く。

これは硯箱の内側になる。

総梨子地(そうなしじ)という表現。

表の蒔絵は海になる。

波が砕け散る海になる。

1枚の写真から誘われた世界。

出逢った瞬間蒔絵がうかんだ。

おそらく今年の残る季節を全て費やす事になる。

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楽しみで仕方がない。

どうか僕の生命を吸い上げて輝くものへと産まれて欲しい。

                

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金粉を蒔くという作業 蒔きたい部分を...

                

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