waca-jhi's diary

笑いも涙も浄化には大きい力になるといいます。そしてカルチャーショックは気付きの第一歩、たとえ小さくても感動は行動への第一歩。

粉入れ(-2) (坂根龍我作品 紹介№67 )

 彦根市の漆工芸家、坂根さんの作品を楽しみましょう】
 
粉入れ作業 -2
 
葉を黒漆で塗り込み、金粉を蒔く。
この金粉は、梨地粉(なしじふん)という粗い金粉。

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この蒔絵には、5種類の金粉を蒔き、3種類の漆で固め、磨く事になる。
粉を蒔く時は、空気の流れが厳禁だ。

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蒔き終えて、窓を開ける。

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琵琶湖を吹き渡る風が、火照った肌に心地いい。
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 この記事は彦根市の漆の工芸家、坂根龍我さんの了解をいただき、
F.B.投稿を2014-03-09に紹介させていただいた記事の再掲です
                             

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いつでもどれでもお好みの作品を楽しんでください。
 

                             

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粉入れ 1(粉固め)(坂根龍我作品 紹介№66 )

 彦根市の漆工芸家、坂根さんの作品を楽しみましょう】
 
粉固め
 
粉入れ-1
蒔絵の金を光らすためには、蒔いた金粉の上から、漆を塗って固めなければならない。
見えない工程の一つ。

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いくつかを白くして、固める。
これが乾いてから、残りの花の粉入れ。

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まだまだ、一息つけない。

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 この記事は彦根市の漆の工芸家、坂根龍我さんの了解をいただき、
F.B.投稿を2014-03-07に紹介させていただいた記事の再掲です
                             

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百百のやわ (坂根龍我作品 紹介№81 )

 彦根市の漆の工芸家、坂根さんの作品を楽しみましょう】

 

 まだ十代の頃、ロックバンドにそろそろ飽きがきていた時、アコースティックデュオを組む事が叶った。

京都の小さなライブハウス。
僕達が一週間に一度出演していたその店に「ねぇさん」も出演していたんだ。

一人でギターを抱えて、ゆったりと語りかけるように歌う姿がとても印象的で、時折見えるエクボの魅力もあり、「素敵なひとだな」と心惹かれたのを覚えている。

マチュアであってもライブハウスで演奏する時は、あるプロダクションに所属する事を強いられた僕達は、顔立ちが甘いからと、当時流行りのカワイコチャン路線で売れというムチャな通達をされ、そういう髪型、そういう服装、そしてそういう曲を作らされ歌っていた。

相方はピタリとはまっていたのだが、齢い16にして酒、たばこ、〇〇〇解禁!髪振り乱してロックしていた僕にとって、それは地獄の拷問に等しかったのである。
閻魔様からラブレターを貰い、青鬼からの横恋慕の修羅場くらい辛かったのである。
それはもう、ヘビメタ野郎の首根っこひっ捕まえて、保育園でお遊戯の歌を一生歌えと言っているようなものだったのである。

その日、一回目のライブを終えた僕は、二回目のライブまでの間出掛けて来るという相方を見送って、一人楽屋に残った。
カワイコチャンストレスで爆発寸前だった僕は、机に足を乗せ、髪を後ろに撫で付けて、楽譜ケースに忍ばせてあったポケットウィスキーをクイクイと飲みながら、ロングピースに火を着けた。

あぁー、うめぇー!・・と天井に煙を吐き出し、至福に浸りかけた時、楽屋の扉が開いた。

「けむっ!」という声に聞き覚えがあり、顔を正面に向けると、淡いブルーのワンピースを着た「ねぇさん」が立っていた。
(やべっ!)と思うも、時すでに遅し!である。

一寸の間、目を細めて僕を見ていた「ねぇさん」の目が見開かれて丸くなる!
無理もない、さっきまで、♪愛してるぅ~♪ なんて歌ってたカワイコチャンの口にタバコ、片手にウィスキー、ふんぞり返って机に足、である!詐欺もいいところである。
とりあえず、足だけは戻したものの他は隠せなかった。

「・・あなた・・確か高校生よね?!」

「・・うぃっス・・」

「驚いた!・・これがあなたの実態って訳~?!」

こうなってはもう仕方がない、タバコをくわえたままではあったが、一応お愛想に、ニカっと笑ってピースサインを右手でそっと出してみた。

「もう、しょうがないわね。黙ってて貰いたい?」

腰に片手を当て、ちょっと小首を傾げて「ねぇさん」は訊いた。

「・・・はぃ・・」

溜め息を一つ吐いてから彼女は言った。

「了解、でも一つ条件があるわ。
今夜、演奏が終わったら私に付き合いなさい。
それが条件。じゃ、後でね。」

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エクボを見せて、「ねぇさん」は楽屋を出ていった。

「・・は、ぃ・・・・・・・えっ??!!」

くわえタバコの灰が落ちて、ポケットウィスキーのキャップが転がり落ちた。
17歳と21歳の出逢いだった。

(逆ナンか?!)心惹かれたひとに誘われた訳である。
まして17歳の小僧、色気盛りである。
男は色気付いた時からずっとバカなのである。

気も漫ろなライブを終えて「ねぇさん」に連れて行かれたのは、当然の如く、何て事はない居酒屋だった。

その店で僕達は、飲みながら色んな話しをした。
自分たちの事、将来の事、今の不満や大切なモノ達。
そして、少しだけ酔った「ねぇさん」が言ったんだ。

「よし!今日から君は私の弟だ!」

この時から「ねぇさん」は「ねぇさん」になった。

その後、僕達は度々一緒に遊びに出たり、飲みに行ったりしていた
大学と高校の差はあったが、お互い学生だったので、あまり値のはる所へはいけなかったが、バイト代が入ると、誘ったり誘われたりを楽しんでいた。

「ねぇさん」との衝撃の出逢いからほぼ一年が過ぎようとしていた
その頃僕は、その素行から相方に去られ、その事で事務所から見切りを付けられていて、思う存分ソロで好きなようにやっていた。
そんなある日、「ねぇさん」が楽屋に来て言った。

「決めた事があるの。あなたを誘惑するのは私の役目!いい?」

「・・・はい??!」

先日二人で飲みに行った帰り、少し遅くなったので、タクシーを停めて「ねぇさん」を先に見送った。
その時、僕がひどく優しい目をして送ったらしく。

「あなたは、大切な人が出来たら、きっとずっと、あんな目を相手に向けるんだろうなーって思ったら、ちょっと悔しくなったの。
だから、あなたを誘惑するの。
でも、今じゃないわよ。
もっと素敵な男に仕立ててから!
解った?!」

「・・・うん・・まぁ。」

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「ねぇさん」はそれだけ告げると、エクボを見せて楽屋を出ていった。

同じような光景が確か一年前・・と考えていて、今度はギターを落としてしまった。

その後、互いに仕事に就き、大切な人が出来ても、僕達の付き合いは続いた。
学生の頃のように頻繁ではなく、電話だけの事も多かったが、お互いのどんな状況の時も、最後は、「ダメね~、もっと色気のあるいい男になりなさい。私が誘惑するんだからね!シャンとしなさい!」とか、「・・うん・・大丈夫だから・・ちゃんと立ち直って、あなたを誘惑するから。」で、締め括られた。
そして、そんなやり取りは「ねぇさん」が結婚しても続いていたんだ。

四十代半ば、それまでの人生に一旦幕を引き、素の自分になって一人で僕は生きていた。
電話のコールに出てみると久々の「ねぇさん」の声。

 

 この記事は彦根市の漆の工芸家、坂根龍我さんの了解をいただき、
F.B.投稿を2014-04-03に紹介させていただいた記事の再掲です


「久し振り!どう?元気にしてる?ちゃんと食べてる?」

「ホント久し振りやね!うん、何とかやってるよ。
そっちはどうなん?元気?」

「うん、それがねー。私入院しちゃったの。大した事ないんだけどね。」

「何?どうしたん?」

「わたし、ガンになっちゃった。
もうすぐ手術なの。」

「・・・え?!・・これから行く、すぐ見舞いに行くから!
ねぇさん、どこ?どこの病院?!」

「ダぁ~メ、教えてあげない。
あなたが来たって何もしてもらう事ないわよ。
こうして声が聞ければ、それでいいの!
それに、ガンって言っても軽いやつだから大丈夫。
退院したら連絡するから待ってて。
元気になって、ちゃんとあなたを誘惑しに行くから。
ね、待ってて。」

「・・・解った。約束やで!
絶対連絡してや!
俺、待ってるからな!」

「うん、じゃぁね。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・通話終了の電話の音が、ひどく不吉で孤独なものに響いていたのを覚えている。

「ねぇさん」からの連絡が来たのは、その数ヵ月後だった。
黒く縁取られた一枚の通知、「ねぇさん」が逝った事を報せる連絡だった。

僕は声をあげて泣く事が出来ない。
それでも、次から次へと流れてくる熱いモノに嗚咽した。 
その一粒一粒に「ねぇさん」との思い出が甦り、悲しい紙に滲んで
いった。

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あれから幾つ年を重ねたのか。

「ねぇさん」、去年も今年も娘さんから季節の便りが届きます。
「ますます母に似て参りました。お会いしたいです」

「ねぇさん」僕は未だに「ねぇさん」のお墓を知らないんだ。
ごめんよ。

「ねぇさん」僕はいい男になれたかな。
いつになったら誘惑してくれるんだい?

今年は、娘さんに会おうか。
そして、二人でお墓に行こうか。

「もう!あなたはねー!・・」
元気な「ねぇさん」の声、今も僕の胸に響いている。

「あなたを誘惑するのは私の役目」

                             

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朱塗り大玉ペンダント (坂根龍我作品 紹介№60 )

 彦根市の漆工芸家、坂根さんの作品を楽しみましょう】

 

 朱塗り大玉ペンダント

 

僕が玉を塗り上げ、家内が、布地チェーン部分をつくりました。

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 この記事は彦根市の漆の工芸家、坂根龍我さんの了解をいただき、
F.B.投稿を2014-02-24に紹介させていただいた記事の再掲です

                

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漆芸教室の日 (坂根龍我 作品 紹介№52 )

 彦根市の漆工芸家、坂根さんの作品を楽しみましょう】 

 

漆芸教室の日

習いに来てまだ、2年足らずの彼ですが、もうこれだけの作品を触っていってます。
頑張ってます。
僕はほとんど、触っていません。

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以前僕が描いていたやや色っぽい女性の絵。描いてもらいましたが、なかなか迫っております!
棗をやってみたいという事で、拭き漆からやってもらいました。
完成はまだですが、楽しみです。

 

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 この記事は彦根市の漆の工芸家、坂根龍我さんの了解をいただき、
F.B.投稿を2014-02-07に紹介させていただいた記事の再掲です

これも、なかなかのもんです!
頑張ってる当人で、ご紹介です(笑)
 
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難病克服ストーリー・回復例

娘が難病になり、医師からの宣告で絶望しました。

病名をネット検索すると、絶望的な気持ちが増していきました。

周囲に同じ病気の人がいる訳でもなく、孤独との戦いでした。

何とかしたい気持ちがあっても知識はなく、心も弱っているのです。

そんな中で、前を向き行動することがどれだけ難しいかを経験しました。

苦しいながらも前に進み続けた結果、娘は治りました。

言葉では簡単ですが、精神的にはかなり厳しい道のりでした。

ですので、ボランティアで難病相談を受けていたころは、治った娘を横に座らせていました。

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治らないと宣告されて、ネット検索で絶望的な気持ちになった人にとって

一番必要なことは希望だということを、自分の経験で知っていたからです。

希望がないと前には進めません、希望がないと体は回復しません。

絶望からくるストレスが体に強いダメージを与えるからです。

治すための方法だけでなく、まずは心が希望で満たされないと体も変化しないです。

だからこそ「リアルな難病回復事例が必要だ!」そう思いました。

この記事は「病気」ではなく「健康」の観点で読むためにFBページ
難病克服支援センターさんの了解の上、記事を転載しています。

 それがきっと大きな希望に繋がり回復にも繋がると思ったからです。

もう一つの理由は、娘が治ったことが奇跡ではなく、難病でも治るんだということを証明するための好奇心です。

そして、いろんな病気の人が回復し元気になり、今では娘の姿に変わり、リアルな回復事例が相談者に希望を与えています。

難病克服支援センターを立ち上げた今も

治った人が、その治った経緯や事実を、闘病中の人の希望に繋げていきたい

そのことが、難病克服者を増やすことに繋がると思っています。

難病克服ストーリー・回復例

 ご息女が五歳の時に筋ジストロフィーと診断され五年後には寝たきりになるとの宣告を受け、一時は悪化していたものが「小さな光を追いかけ続けた結果約四年で血液検査も正常に戻り、自力で立て、走れ、自転車に乗れるまで回復・・」との体験をもとに、難病克服支援センターを運営していらっしゃいます。

                  

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楽しみ (坂根龍我 作品 紹介№56 )

彦根市の漆工芸家、坂根さんの作品を楽しみましょう】
2014-0217に投稿したものです- waca-jhi -
 
 
漆、、、、ではない。
 
 
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ブリキ細工。
 
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ギタリスト。
 
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 この記事は彦根市の漆の工芸家、坂根龍我さんの了解をいただき、
F.B.投稿を2014-02-17に紹介させていただいた記事の再掲です
                             

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楽しみ (坂根龍我 作品 紹介№58 )

 彦根市の漆工芸家、坂根さんの作品を楽しみましょう】
この記事は2014-2/21に投稿したものです。
 
 
漆と全く違うモノ!
 
エー、私、蒔絵師・漆芸家なのでありますが、
ちょいと手慰みにこんなモノも造ってます(笑)
ブリキ細工です。

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告白の夜~早くしないと夜があける~
 
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坂根 龍我 - 携帯アップロード | Facebook 

                             

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答えを外に探すと正解は見つからない

日本の教育は、問題に対して、一つの答えを求めます。

正しい答えを早く見つけた人が優等生ですね。

同じ答えをみんなが探し、問題を解こうとします。

それが思考癖になっているのか、闘病でも同じことをしてしまいがちです。

先生は答えを知っている人、という常識も治る上では邪魔になります。

一つの課題、問題に対して、答えは一つ

先生は正しい、答えを知っている

さいころからの環境で、こういう意識が思考の常識、癖になっているんです。

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しかも、この先生方は難病指定している現代医学の人たちです。

「私たちは治せません宣言」しているということです。

ということは「問題の答えを知りません、解けません宣言」をしているということですよね。

こういうことが頭にすーっと入ってこないのは、小さいころからの教育や環境の問題なんだと思います。

どんな病気になりやすいかは、「生まれ持った遺伝的要因」が関係し

食べた物や空気など「生まれたからの外的要因」も病気になった要因の一つです。

また、「生まれてからの精神的要因」も同じですね。

割合は、みんな違えど、それぞれ3つが重なり合って発病しています。

同じ病名でも発病した要因はみんな違い、性格がみんな違うように体もみんな違うのです。

この記事は「病気」ではなく「健康」の観点で読むためにFBページ
難病克服支援センターさんの了解の上、記事を転載しています。

なのにほとんどの人は病気になると、中ではなく外へ答えを求めます。

そして、一つの答えに辿り着こうとします。

だから治らないだけなんです。

難病が治らない原因は現代医学が治せないからではなく

答えの解き方が間違っているからなんです。

人間の体は、ずっと健康になろうとしてくれています。

その力を活かすには、自分が病気になった要因に気づき、正すことです。

治癒力を上げるために自分にあった生活を心がけることです。

そして、自分の体を信じることです。

このことがすーっと入ってきたら不安や恐怖は薄れていきます。

そのことが、どんな高価な治療やサプリメントより体を治癒に導いてくれます。

難病克服支援センター

 ご息女が五歳の時に筋ジストロフィーと診断され五年後には寝たきりになるとの宣告を受け、一時は悪化していたものが「小さな光を追いかけ続けた結果約四年で血液検査も正常に戻り、自力で立て、走れ、自転車に乗れるまで回復・・」との体験をもとに、難病克服支援センターを運営していらっしゃいます。

                  

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帯留め (坂根龍我作品 紹介№85 )

 彦根市の漆の工芸家、坂根さんの作品を楽しみましょう】

 

帯留

 

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 この記事は彦根市の漆の工芸家、坂根龍我さんの了解をいただき、
F.B.投稿を2014-4-11に紹させていただいた記事の再掲です。
                             

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