waca-jhi's diary

笑いも涙も浄化には大きい力になるといいます。そしてカルチャーショックは気付きの第一歩、たとえ小さくても感動は行動への第一歩。

人は想いに応えてくれる

娘との闘病を通じて、強く感じたことは、どんな時代でも「人の想いは人に伝わる」ということでした。

娘は小学校入学直前に発病し、どんどん状態が悪化していきました。

小学校へ通えるかどうか、通えてもいつまで通えるか、分からないまま入学式を迎えました。

この頃は、まだ病名も確定していませんでしたが、歩くことが困難になり始めてました。

学校へ行かせてあげたい想い

自転車で毎日送り迎えをしたい想い

教室の後ろで、毎日見守りたい想い

生きてる間は、いろんな経験をして欲しい想い

そんな想いを入学式当日に校長先生、担任の先生に伝えました。

この記事は「病気」ではなく「健康」の観点で読むためにFBページ
難病克服支援センターさんの了解の上、記事を転載しています。

全て許可して下さりました。

そして、嫁が自転車で送り迎えし、毎日教室の後ろでずっと見守り、一緒に帰るという一年生がスタートしました。

それとは別に学校側が自主的に行ってくれたこと

和式トイレが困難な娘に、専用の洋式トイレを設けてくれました。
冷えないようにと、便座カバーも付けてくれました。

移動が困難な娘の為に、遠足は1~6年まで、全員がバスになりました。
異例の学年です。

階段や移動が困難な娘の為に、教室の位置を配慮してくれました。

修学旅行は校長先生が車で新大阪まで送ってくれました。

そして、旅行先では教頭先生がずっと付添ってくれていました。

病名が分かった時は、校長と担任が菓子折りを用意し病院の主治医会いに行ってくれました。
そして、病気について詳しく聞いたそうです。

それは、今後どのような事が考えられるかを知っておかないと、サポートが出来ないからとのことでした。

500人以上もの生徒がいる小学校なのに、娘のことを考え一生懸命にみなさんがサポートしてくれました。

相談者で同じ境遇の方から、「学校側が冷たくて非協力的なんです」とよく相談を受けます。

そんな時、私たち家族が、たまたま良い先生に恵まれたわけではないことを伝えています。

その差は、想いを伝えたか、要望を伝えたかの違いだと感じるからです。

こんな状態だから、こうして欲しい、ああして欲しい、どうなりますか?こうならないですか?
では、教師のままだったと思います。

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こんな状態だけど、こうしてあげたい、ああしてあげたい、こうなって欲しい、だったから、人として聞いてくれた気がします。

どんな職業の人も、中身は人間です。

様々な想いを持って生きている人間です。

ですから、ストレートな人の想いは伝わるものだと思います。

伝われば、何かしてあげたいと思い行動してくれるのが人間だと思います。

そんな想いは娘にも伝わり、医師の言葉とは真逆の道を娘の身体はたどりました。

歩くことが困難だった低学年、回復しだした高学年、6年生で少し走れるようになりました。

6年生最後の運動会は、娘にとっては初めての徒競走でした。

先生方は泣ながらゴールを見守ってくださいました。

この拍手喝采も、先生方の想いが繋がり膨らんだ結果だと思います。

http://guide.simdif.com/yakusoku.html

 ご息女が五歳の時に筋ジストロフィーと診断され五年後には寝たきりになるとの宣告を受け、一時は悪化していたものが「小さな光を追いかけ続けた結果約四年で血液検査も正常に戻り、自力で立て、走れ、自転車に乗れるまで回復・・」との体験をもとに、難病克服支援センターを運営していらっしゃいます。

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