waca-jhi's diary

笑いも涙も浄化には大きい力になるといいます。そしてカルチャーショックは気付きの第一歩、たとえ小さくても感動は行動への第一歩。

才能は使い方しだい

繊細で気配りができて、相手の反応から心が読める人

そんな才能は活かし方しだいなだと思います。

いつも自分を中心に置いてその才能を活かすなら

願いどおりの未来をうまく作り上げていけると思います。

そして、満足感や達成感をたくさん得ることができるはずです。

しかし、自分の居場所を探すために

自分の存在を確かめるために、それらに才能を活かそうとすると必ず疲れてしまいます。

同じ世界や環境を共有していても、みんなが同じ人生を生きているわけではないんです。

それぞれに、その人だけの人生があって、その人生の中でみんなが関わり、交わりながら生きています。

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ですので、自分の人生は自分が主でいないと切り開いていけないのです。

誰の人生にも入り込むことなんてできないですからね。

いくら、周囲に「気に入られたい」「認めて欲しい」「良い人だと思われたい」と思っても

自分が主である人生を歩いていないと、周りに振り回されて自分を見失ってしまいます。

そして、それが不調や病気にも繋がるのです。

自分を中心に置いて願いを叶えるために

「気に入られるという手段を使い」「認めさせる」「好意があることを伝える」

これなら誰にも振り回されません。

しかし、主を他人に置いてしまうと自分の才能によって自分自身が苦しむことになります。

繊細、敏感、気配り、心を読む力、洞察力

全て素晴らしい才能です。

それを自分の人生の中でどう活かすかは、周囲に対しての身の置き方しだいだと思います。

この記事は「病気」ではなく「健康」の観点で読むためにFBページ
難病克服支援センターさんの了解の上、記事を転載しています。

「これで良いんだろうか。。。」

「あれで良かったんだろうか。。。」

「もっとこうすれば良かったのかも。。。」

「分からない。。。」

繊細で、敏感で、気配りができる人ほど、こういう感情が生まれやすいですよね。

答えの出ない、周りの反応を気にし過ぎてしまい疲れてしまいます。

そんな感情に押し潰されないように。

「これはこれで良かったんだ」「次はこうしてみよう!」「どうやって伝えようか」と思えるように

いつも自分を主に置いて行動したいですね。

人生の主である自分のために。

 ご息女が五歳の時に筋ジストロフィーと診断され五年後には寝たきりになるとの宣告を受け、一時は悪化していたものが「小さな光を追いかけ続けた結果約四年で血液検査も正常に戻り、自力で立て、走れ、自転車に乗れるまで回復・・」との体験をもとに、難病克服支援センターを運営していらっしゃいます。

                 

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