waca-jhi's diary

笑いも涙も浄化には大きい力になるといいます。そしてカルチャーショックは気付きの第一歩、たとえ小さくても感動は行動への第一歩。

初めて運動場を走った日

娘は幼稚園の年長の時に難病を発症しました。

ですので、一年生からずっと体育は不参加でした。

運動会には可能な競技のみ車椅子で参加させていただきました。

入学直後に、卒業するまで学校へ通えるかどうか分からないという状況を校長先生にお伝えし

そして、小学校生活は始まりました。

低学年は休み時間も外へ遊びにいく子が多い中

ずっと机に座っていたそうです。

そんな娘は4年生の時に血液検査が正常値に戻り

そこから筋力が少しずつ回復していきました。

そして、卒業間近な6年生の運動会やってきました。

やっと運動場を走れるチャンスがきました。

「最後の運動会やし、遅くてもいいから走ってみる?」

娘は私の問いかけに

「うん、走ってみるわ」

と応え、その日から夜の練習が始まりました。

走る娘の姿を見て

本当に、この子は走ったことがないんだ・・・と思いました。

ぎこちない動きで前に進む娘をみて、そう思いました。

当日の走る様子です。

6年間、ずっと応援し続けてくれた先生方や生徒さん達の拍手喝采の中で

娘は最後まで走りきりました。

この記事は「病気」ではなく「健康」の観点で読むためにFBページ
難病克服支援センターさんの了解の上、記事を転載しています。

 そして、その日から4年半経った今、益々筋力が回復し

普通に女子高生を楽しんでいます。

娘が重たい荷物とギターを背負って歩いていると

当時、お世話になった先生と、ばったり会うことがあるそうです。

小学生当時では、考えられない姿を見た先生は非常に驚かれるそうです。

そんな姿を見ていただけることが、当時の恩返しに少しでもなればと思います。

娘の場合、薬や治療が全くありませんでした。

ですので、薬で治った訳でもなく、治療で治った訳でもありません。

それでも、4年という時間をかけて、壊れた体は修復されたのです。

 ご息女が五歳の時に筋ジストロフィーと診断され五年後には寝たきりになるとの宣告を受け、一時は悪化していたものが「小さな光を追いかけ続けた結果約四年で血液検査も正常に戻り、自力で立て、走れ、自転車に乗れるまで回復・・」との体験をもとに、難病克服支援センターを運営していらっしゃいます。

 難病克服支援センター | Facebook

                 

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