弟子物語番外編 〜小学生編〜
夏になると思い出す事がある。
あの嵐のような真昼の惨劇。
「割れた羽根、怒りのオカンアッパッパ便所のスリッパ殴打事件」という何とも恐ろしい、今思い出しても背筋も凍るような出来事だった。
確か小学4年生の夏休みだったと記憶している。
当時の僕は、物事の本質並びに物質的原理を深く追求し、学び実験してみたい!という向上心を強く心に秘める天才児であったのだ。
その日も午前中に、皆2時間で終えるであろう3日分溜まった算数のドリルを、どうしても教えてやるときかない姉と共に4時間かけて僕は楽しんだ。
たまに、「どうしてこの問題の答えがそんななるの⁈」
と言う姉に「あぁ、姉もきっとストレスが溜まっているのだな。」などと多少の事は大目に見ながらあくまで、楽しんだ・・・のである。
その3日間は忙しかった。
近所の駄菓子屋で買った虫取り網と、文房具屋で買った虫取り網ではいかにトンボの採れ方が違うか、競争して結果を出す。
はたまた虫取り網を水につけてドブ川からナマズを採る事が出来るかどうか!
という興味深い実験を近所の友人と共に、夕飯だよと親が呼びに出るまで、朝から夕方まで3日間勤しんでいたからである。
ドリルを終えた後、僕はおそろしく暇だった。
一緒にナマズを採った友人も今日は家族で出かけていて居ないし・・・。
部屋の真ん中では時代遅れの水色のアッパッパを着たオカンが腹にタオル1枚申し訳のようにかけて扇風機の風に当たりながら大の字で昼寝していた。
このアッパッパという服であるが、今で言うキャミソールの親玉みたいなやつで、裾に向かうほど広がり、とにかく締まったところの全く無い、夏限定の世間のオカン服であった。
まぁ、外を出歩けるシミーズ(古っ!)みたいなモノと言えばだいたい想像していただけるであろうか。
決して、間違ってもオシャレな服ではない。
友人たちの家に遊びに行って「◯◯ちゃん、あ〜そ〜ぼ。」と言った時、だいたい出て来てくれるオカンは、夏は皆このアッパッパだった。
ブラウスにスカートなど洒落た服を身につけているオカンに行き当たってしまったなら大変だった。
そういうオウチは大体がお金持ちで、大体がピアノが置いてあり、ネェちゃんか妹が弾いていた。
こういうオウチのオカンはオカンとは呼ばないのであって、みな緊張の面持ちでお母様と呼ばせていただいていた。
「なぁ〜んかおもしれー事無いかなぁ〜・・」
暑さに辟易しながらそんな事を口にしながら、当時微かに流行ったラジオのアンテナのように伸縮するボールペンを長く伸ばして、フェンシングの剣さばきさながら振り回していた。
オカンは薄くイビキをかいている。
扇風機はブ〜ンと小さなモーター音を唸らせながら暑さに対抗している・・・。
『・・ん?・・扇風機・・?』
扇風機の正面から回っている羽根に向けて、「ワ・レ・ワ・レ・はうちゅうじんだ・・」はもう散々やって飽きていたし、何よりガキっぽい。
僕は、また新しい実験を思い付いたのだった!
扇風機の回っている羽根を指で止めたらどれ位の力が必要だろう?・・と。
しかし、そこで頭脳明晰な僕は考えたワケだ!
自分の指でやるのはあまりにも危険。
お!ちょうどいい具合に伸縮するこんなボールペンを持っているではないか!
これでやってみるなら危険はない!
んー!ナイスアイデア!
というわけで、僕はソロリソロリとボールペンの先を回っている扇風機の羽根に向けて差し出していった。
後少しで羽根の先に・・・・
カラカラカラ、カカカカ!ガッ‼︎
バリバリッッ‼︎ガ〜ラガラガラガラ‼︎‼︎‼︎
ズットンズットンズットンズッ・・・!
何と!扇風機の羽根が1枚割れ、扇風機の網の中でガラガラと盛大な音を立て、扇風機自体は不安定な遠心力により、酔っ払いのタンゴの如く踊りだしたのである!
固まる僕。
そしてオカンが起きた!
オカンはいつそんなに鍛えたかと驚くほど、腹筋だけでムクッと上体を起こし、寝ぼけているのか半眼の目で扇風機を見、驚いたように目を開けそのままゆっくりと僕を見据え
僕の手のボールペンを見ると顔が般若になった。
ヤバイっ!
これはマジヤバイですよっ‼︎
日頃の鍛錬のせいか、僕は反射的に庭へと転がるように逃げた!
しかし、この猫の額程の庭の先は・・行き止まりだったのである。
正に飛んで火に入る夏の虫、袋小路のネズミ、蛇に睨まれたカエル!
僕は狭い庭の隅にへたり込み、石のように固くなってしまった。
見ると、踊り狂う扇風機を尻目に、ヌックと立ち上がったオカンが肩をいからせ、両手を下げてこちらに向かっていた!
「ぬぁ〜にをしたぁ・・、昼寝してた扇風機に・・ぬぁ〜にをぉしたぁ・・」
扇風機は昼寝してない。
昼寝はオカン、アンタやろ、などと突っ込む暇などどこにもない。
オカンはノシ・・ノシ・・とゆっくり近づいてきた
「ヒェッ!
か、かぁちゃんゴメンて!」
「・・よぉ〜、庭に逃げてくれた・・」
オカンはどんどん近づいて来る!
この時、僕の頭の中にはゴジラのテーマ曲が鳴り響いていた。
ゴジラをご存知の方は是非テーマ曲を脳裏に思い浮かべながら読んでいただきたい。
人間、最後の時は全てがスローモーションで見えると聞いた事があるが、あれは本当である。
般若の顔のオカン、オカンの左肩の疱瘡の跡、 夏のそよ風に水色のアッパッパが揺れていた。
そして、おかんの右手には昨日捨てるはずだった古くなった便所のスリッパが握られていた。
す、スリッパーー⁈
とうとう僕の目の前に立ったオカンが目だけで僕を見下ろして右手をおもむろに高々と挙げた。
「あ、あ、かぁちゃんゴメンて!
ゴメンてぇーーーー!
もうしませ・・・」
スッッパァーーーーーーーーーーーーンッッッ‼︎‼︎‼︎
ヒィーーーーーーーー・・・・・
よく晴れた夏の青空に、頭脳明晰な脳を包んだ僕の頭頂部と、履き古してカカトのスポンジの擦り切れた昨日捨てるはずだった便所のスリッパの思い切りの衝突が、齢10歳の断末魔の声と共に乾いた音でこだました。
アブラゼミの鳴く声、風鈴がチリンと鳴り、オカンのアッパッパが生ぬるい風に翻っていた。
僕の小遣いはしばらくの間無しとなり、扇風機の羽根の代金と消えた。
今日も今日とて弟子に訊ねてみる。
「な、これイヤリングかピアスにどう思う。」
「だから何でイヤリング、ピアスにこだわるんですか?
他の仕事は凄いんですから、それ位苦手があってもいいじゃないですか。」
「・・ヤダ!」
「子供ですか⁈」
「ちゃう!
酒も飲めばタバコも吸う!
大人や!
な、これ出来たら、ちょっと付けてみたいと思わ・・」
「ヤダ!」
「・・・・・。」
「先生、その漆とって下さい。」
「・・・はい・・・。」
何と言われようと僕の好奇心、向上心はまだまだヘコタレルことはない。
陽射しが痛い。
今日も暑くなりそうだ。
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