気づき
気づきが大切だと分かっていても
気づこうとして気づけるものではないですよね。
強く願う目標や、叶えたいと強く思う夢
乗り越えないといけないと思う壁があった時
人は些細なことからでも、自然に気づきが生まれるのだと思います。
強い思いが感度が高めて、それが気づきに繋がるんでしょうね。
娘との闘病は気づきの連続でした。
寝たきりの姿を見たくない思いが強かったんだと思います。
病気や身体について無知だった私は
必死な思いで、たくさんの情報を頭に詰め込んでました。
まず、身体というものを知ることが大切だと感じていたんだと思います。
一つ一つの情報では気づきは生まれませんでした。
しかし、多くの情報を理解し活かそうと必死になった時に
情報と情報がしだいに繋がっていき「なるほど・・・」と思える気づきが生まれ始めました。
そして、その気づきは応用を生み、多くの情報を組み合わせた自己流が出来上がりました。
娘に行った食事療法は、多くの食事療法を参考にした自己流です。
それは、他の食事療法は一部は正しく思えても全部が正しいと思えるものがなかったからです。
難病克服支援センターさんの了解をいただき紹介しています。
そして、娘の身体には合わないと感じるものが多かったからです。
必死な思いから、多くの情報を取り入れようと行動し
それを本気で活かそうとした時に自然と気づきは生まれるんだと思います。
毎日、娘が寝る前に行っていたマッサージも自己流です。
触るとどこが具合が悪いか、肌で感じることができたからです。
毎日、娘の太ももからふくらはぎ、足首、足裏を触っていると、自然と何をすればいいのかも分かりました。
どこで血が滞っているか、手の平で感じる熱の差で分かりました。
冷たい部分を流してあげればいいと思うと、自然に手は動きます。
それも気づきだったと思います。
気づきは意識して気づくものではなく、勉強して気づけるものではないと思います。
強い思いから、そこに繋がる部分への感度が増すのだと思います。
そして、その感度がアンテナのように必要な物を受信し続け
その受信したものが組み合わさり、繋がり活かされる。
気づきとは、そういうものだと思います。
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