waca-jhi's diary

笑いも涙も浄化には大きい力になるといいます。そしてカルチャーショックは気付きの第一歩、たとえ小さくても感動は行動への第一歩。

相談者が難病を克服し、スタッフに仲間入り

以前に記事に書いた、下記の女性が5月から当センターのスタッフとして活躍します。

3月に香川県から大阪へ引っ越し、通信で大学を続けながら、難病克服支援センターへ通います。

辛かった経験が人の役に立ち、自分の生きがいに変わることを実感して欲しいと思います。

 

視神経脊髄炎の19歳(女性)から昨年の2014年3月に相談を受けました。

2013年11月に嘔吐し、12月から眼振と複視、手足がピリピリ痛む症状が出始めたそうです。

症状が治まらず、2014年3月に入院し視神経脊髄炎との診断。

入院中に電話で初めて話した時に、意識がかなり薄かったのを覚えています。

声や話し方もろれつが回らず、大丈夫かな・・・と心配しながらの電話でした。

この記事は「病気」ではなく「健康」の観点で読むためにFBページ
難病克服支援センターさんの了解の上、記事を紹介しています。

話を聞くと、生まれた頃からアトピーが酷く、16歳でリウマチ、その後シェーグレンの疑い、19歳で視神経脊髄炎

電話では「ずっと今まで病気ばかりなんです。なにがなんでも絶対に治りたいんです」と薄い意識の中で、治りたい気持ちを必死の思いがで伝わってきました。

入院中、神経の炎症を抑えるために、ステロイド治療が行われてました。

それでも医師からは「眼振は治らないかもしれない、手足も動かなくなるかもしれない」との宣告を受けたそうです。

まず、入院中にできる範囲での食事療法を行い、精神面での支えを行いました。

眼振、手足の症状が治まらない状態で4月に退院し、自宅での本格的な食事療法とサプリメントを開始しました。

入院時はステロイドパルス、その後ステロイド45㎎、免疫抑制剤も飲んでいました。

量を減らしていき、自然治癒力での回復を願いました。

6月21日に断薬に成功。

その後、7月に排毒(ステロイド離脱症状)と思われる、アトピーのような炎症が顔に出始めました。

それに伴い、眼振が少しずつマシになっていきました。

また、体温が35℃から36.8℃に上がり、免疫力に期待しました。

この時、排毒のため体重が6㎏減。

8月頃から食欲が出始め、排毒により落ちた体重が少しずつ増えだしました。

しかし、顔の炎症は、ますます酷くなり、顔の半分くらいが赤く、カサブタのようになっている箇所が見られました。

9月頃から顔全面に広がったカサブタが徐々に落ち始め、眼振が徐々に治まり、手足の症状も気にならなくなりました。

4か月後にひかえる成人式までに、綺麗な顔に戻りたいとの願いが叶い、12月には全てのカサブタが剥がれ落ち、綺麗な素肌に戻りました。

そして、病気の症状である眼振、複視、手足の症状も全くなくなり、元気に成人式を迎えることができました。

両手でピースをしている笑顔の写真が届き、最初に電話をもらった時とは別人のように思えました。

病気の原因は食事やその他の化学物質だけでなく、小さい頃から思ったことや言いたいことが言えない環境だった為に、ストレスを非常に溜めこみやすく、身体に大きな負担をかけてきた事が病気の原因だと感じました。

ご本人もその事に気付き、自分の思いを周りに伝えながら、これからの人生は目標を持ち楽しく過ごしたい。

病気ばかりの19年間だったので、食事にも気を付けながら、心が健康である生き方をしていきたいと言っておられます。

治らないと言われ、寝たきりになるかもという不安から、1年足らずで元気に回復し、成人式を迎え

「幸せ過ぎて、気が狂いそうです・・・」とメールをくれたことが、本当に嬉しかったです。

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もっともっと幸せを感じ、生きている実感をしてくれるでしょう。

 ご息女が五歳の時に筋ジストロフィーと診断され五年後には寝たきりになるとの宣告を受け、一時は悪化していたものが「小さな光を追いかけ続けた結果約四年で血液検査も正常に戻り、自力で立て、走れ、自転車に乗れるまで回復・・」との体験をもとに、難病克服支援センターを運営していらっしゃいます。

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