waca-jhi's diary

笑いも涙も浄化には大きい力になるといいます。そしてカルチャーショックは気付きの第一歩、たとえ小さくても感動は行動への第一歩。

教え子たちへ

私たちの本来の姿を思い出し、巷でかまびすしいヘイトや、はては戦争などという人類の病気の
根幹になる原因から離れる方策の一つを上田先生が投稿してくださいましたので紹介します。

 

~高校に進学した教え子たちへ~

サベツしない、ギャクタイしないということは
とても、とても難しいことなんだ。

もし、
君の心に

ぼくは
成績が良い、というのはもちろん、

「ふつう」だとか
「健康」だとか
「健常」だとかと思ったら、

そのとき
君はサベツ者になる。
僕は
人をサベツしたことなどない、と
言い張るかな。

でもね、
「ふつう」や「健康」、健常」を
少しでも意識したなら、

そのとき、
必ず、その反対の
「異常」や「病気」、「障害」を
心の中で作ってしまっている。

異常や病気、障害なんてものを意識したなら、

その次は
ふつうにならなきゃ
健康にならなきゃ
健常にならなきゃ、って
思ってしまうだろう。

異常や病気や障害は

治すべきもの
その状態でいてはいけないものって
考えるだろう。

ほらっ
サベツしている。

さて、
ちゃぶ台をひっくり返すよ。
もともと
異常や病気、障害なんていう「句読点」は、
人間がかってに考えたもの。

マジョリティという
多数の者のあり方が
正しいとなっているだけ。

だって
ほとんどの人が
異常や病気、障害といわれる人々であれば、

ふつうや健康、健常といわれる人の方が
ヘンな目で見られる。

なんで
満足な心、身体しかもっていないのかって。

ことは
もっと深い。

実は
ふつうや健康や健常や
異常や病気や障害という句読点も

とてもあいまい。

人間は
進化の過程でに手を使えるようになって
二本足であるくようになったって言われるけど、

これも
人間とやらが
かってに考えただけ。

一体、
誰が決めたんだいってことになる。

知的障害なんて言葉も

そして、現代のように
頭で考えて、空気を読んで
うまく立ち回れる能力なんて

これも
勝手に人間とやらが考えただけ。

もともと
そんなに簡単に
身体と頭を区別するなよ、ってことになる。

言っていることがわかるかい?

もっともっと
自由に考えるんだ。

人間が
労働の大切さとか
生きる意味とか
人生の価値とか

そんなことを考えるずっと以前から

障害を持っている人々はいたんだ。

それをかってに

人間の価値だの
生きる意味だの価値だのを

健常者が
かってに
考えてきただけなんだ。

マジョリティたちが
かってに価値だの意味だのを考えたそのときから

そう、
ずっとずっと昔から
差別が生まれて
私たちがそれを
しっかり受け継いでいる。

高校に進学した君たち。

君たちは自由に
もっともっと自由に
考えることができるかい?

たぶん、
それはできない。

きっと、
できない。

だって、またぞろ
テストだの
偏差値だので

がんじがらめの世界で
君たちは
息をしていくんだから。。。

そして、自分も
ショウガイシャだってことが
いつまでも分からずに

いつか必ず、
サベツ者になる。

残念だけど
必ず、そうなる。

とても苦しい現実だけど、

願わくば
自分が嫌だなぁと思った時にでも

先生の言っていたことを
少しでも、
思い出してくれるかな。

虐待をしない
差別をしない、ということは

私たちにとって
とても、とても
難しいことなんだ。

でも、
猫にはそれができる。

トゥーラには
それができる。

どうしてかな?

そのことが
わかるだけでも
良いと思っている。

                 
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