waca-jhi's diary

笑いも涙も浄化には大きい力になるといいます。そしてカルチャーショックは気付きの第一歩、たとえ小さくても感動は行動への第一歩。

完治までの道のり

次女として生まれた娘は赤ちゃんの頃から病気が絶えませんでした。

生後8か月で尿路感染症にかかり、入院し抗生剤を大量に使いました。

その後も肺炎などで入院をすることも多々あり、また抗生剤です。

赤ちゃんは検査するにも、じっとしていられないので睡眠導入剤で眠らせて検査します。

そんな状況で3歳までを過ごしました。

あまり食べない子だなぁ・・・くらいにしか思ってなかったので

食べてくれる物なら何でもいいと思い、ファストフードや麺類ばかり食べさせていました。

 FBページ、「難病克服支援センター」の記事を転載しています。

 f:id:wacag:20160108213119j:image

いま思うと酵素がうまく作れない身体で唾液が少なかったようです。

私の母方が難病家系でその遺伝もあったと思います。

大量の抗生剤などの影響で腸内菌などの必要な菌が死滅していたことも原因だと思います。

また、その影響で極度の便秘が続き、排毒できな身体だったことも原因だと思います。

環境の変化によりストレスなども重なったと思います。

その延長線で起きた発病

それは肢帯性筋ジストロフィーでした。

当時、7歳の娘は5年後に寝たきりになると宣告を受けました。

そんな娘と我々家族がどのようにして病気を克服したか

他の方のチカラや想いがどの様にして集まってきたか

絶望の中で、それを乗り越えることが出来た理由

家族にとっての苦難の意味は何だったのか

生まれてから死ぬまで平穏な人はいないと思います。

娘との闘病経験から実感し得たことを

苦難や壁が訪れた時に参考にしていただきたく本にしました。

「約束」

http://nkc.theshop.jp/items/1723503

 ご息女が五歳の時に筋ジストロフィーと診断され、五年後には寝たきりになるとの宣告を受け一時は悪化していたものが「小さな光を追いかけ続けた結果約四年で血液検査も正常に戻り、自力で立てる、走れる、自転車に乗れるまで回復しました」との体験をもとに、難病克服支援センターを運営していらっしゃいます。

 難病克服支援センター | Facebook

                            

彦根市の漆芸家、坂根龍我さんの作品など waca-jhi's diary  

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