希望を消す言葉と娘の姿
医師の言葉通り、娘の状態は、どんどん悪くなり自力で立つことが出来なくなりました。
当時の娘は7歳、横に揺れながらつま先で歩くのが精一杯でした。
歩くことが出来なくなったらどうしよう・・・と不安がいつもよぎります。
今日、歩いていたら、明日もきっと歩いているはずだと毎日思うようにしてました。
恥ずかしがらず前をしっかり向いて歩いていた娘も同じように思ってかもしれません。
心配した祖父が、歩く姿を見て
「ゆうちゃん、ちゃんと歩いてみてみ」と言っても
「ゆうちゃんは、今これでいいねん!」と娘は強く返していました。
「今」という言葉を聞いて嬉しかったです。
治ることを信じてくれていることが、その言葉で分かりました。
本人が諦めず未来に希望を持っていることが親にとって勇気に繋がります。
その気持ちに応えよう・・・また走れるようになって欲しい・・・
そう思い続けられたのは、そんな娘の姿があったからだと思います。
医師は必ず、寝たきりになると言いました。
親切にも呼吸器の説明までしてくれました。
娘は、少し歩くと、つまずく訳でもなく、急に力が抜けたように転んでいました。
だから、いつも両膝には傷がありました。
そんな時期は、夢の中でも娘は転んで怪我をしていました。
そんな、日々の中で、不安はいつも付きまとい、それを消したくて消したくて
そんな思いで勉強し、娘にはいろんな事を試し続けました。
そんな中でどんどん悪化する娘の状態が止まったように思える時がようやく来ました。
闘病を始めて2年くらい頃です。
その後、娘の状態と検査数値は悪化することなく回復し始めました。
緊張した精神状態が少し緩み始めたころに娘が立つ夢を見ました。
そうなって欲しいと毎日、願っていたから夢に出てきたんだと思います。
テーブルに手をついてゆっくりと立つ姿を夢で見ました。
それから、娘が転ぶ夢を、なぜか見なくなりました。
そして、その半年後、娘は本当に自力で立ちました。
娘が諦めなかった未来の姿がそこにありました。
嬉しそうな顔して、何度も何度も立ってみせてくれました。
そして、歩く姿も普通になっていきました。
「ゆうちゃんは、今はこれでいいねん!」の気持ちが未来を作ったんだと思います。
今ではジョギングも出来ます。
自転車に乗ってカラオケにも行ってます。
ギター背負って、相談者に会いに難波まで来てくれます。
医師を責める気持ちはもうありませんが
人の未来を決めつけてはいけないと思います。
患者さんの状態がいくら厳しい状態でも、未来のことは誰にも分かりません。
厳しい現実だけでなく僅かな希望も与えてあげて欲しいです。
どんな絶望的な状態でも未来への希望が叶うことがあるんですからね。
彦根市の漆芸家、坂根龍我さんの作品など waca-jhi's diary
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