弟子ものがたり (坂根龍我 作品 紹介№230)
弟子入りして3年が過ぎた頃、師匠のアトリエに1本の電話が、かかってきた。
もしもし、あ、はい・・はい。
ふむふむ・・ほぉ〜。
あ〜、そういう事でしたら1人手頃なのが居る事は居りますが。
御入用ですか?
この八百屋の店先のような師匠の応答で、僕のテレビ出演が決まった。
21歳の正に春、失恋の直後の出来事だった。
何でも、少し特殊な世界に飛び込み、まだまだ勉強中のユニークな若い奴。
という問い合わせが漆器組合にあり、そう言えば、髪の長い、毛色の変わった、らしくないのがあそこに居たな・・と連絡が来たらしい。
八百屋の前は、ヒヨコの選別だったようだ。
ディレクターと称する方に師匠同席のもとに会い、問われるままに応えた。
途中、僕の失恋に話しが及んだため、それは・・とお断りしたのだが、いやいや是非に!と、
業界人丸出しのしつこさで食い下がられた。
聞いていた師匠が口を開いてくれた。
あ〜、私としては何を聞いていただいても結構なんですがね・・。
こいつ、一見穏やかそうに見えますでしょ。
あ〜、でもねェ、プツッといくとねェ・・。
そこそこ凶暴ですからねェ・・。
本人が嫌がる事はお止めになった方が番組のためかと・・・笑笑
・・・・・・・・・。
ちょっとディレクターが固まったところで、出演が確定してしまった。
大手放送局、昼間の有名な1時間ワイドショー生番組だったと記憶している。
僕自身、たまの平日休みにはよく観ていた。
師匠曰く、ワイドショーやからなぁ、出演いうても5分位のもんやろ。
ま、気楽に行ってこいや!
・・・は・・い・・。
当日、大阪から京都の自宅までハイヤーの出迎えにて大阪のスタジオ入り。
楽屋なる部屋には自分の名前が貼られていた。
やがて台本を渡され、数名のスタッフとおぼしき方数名と、番組司会進行される、ブラウン管ではお馴染みの男女お二人との打ち合わせ。
マジか!本物だぁ〜。
打ち合わせなど、もう、うわの空である。
打ち合わせが終わると、ドーランというやつを顔に塗られ、メイクされ、髪まで整えられて時間待ち。
高級な弁当は出るわ、茶は出るわ。
コーヒーは出るわ。
ここで一気に不安になって来た。
お、俺、何?
何させられるの?ワイドショーだろ?
中の5分位の出演のはずじゃ・・・。
最早、出番を待つ猿廻しの猿状態。
ヒヨコ、八百屋と来て猿だから、ま、進化と言うべきか。
楽屋の扉がノックされ、首から何か下げた人が入って来て、とっても軽いノリで、スタジオ入り時間で〜す!と告げられた。
ひゃい!(はい!)
声が裏返っていた。
おそらく、ソラマメ大の豆鉄砲を食らったような顔をしていたに違いない。
スタジオは思っていたほど大きくなく、その部屋にオバちゃんたち独特の香水の香りが漂っていた。
所謂スタジオ見学というやつだったのだろう。
着飾ったオバちゃんたちが2〜30人、ひな壇と言われる席に座り、
ディレクターの指示で拍手の練習したり、笑ってみたり、激しく頷いてみたり。
何だ、このオバちゃんたちの保育園は・・。
スタジオの中はこれぞ蒔絵師の部屋!と言うような、独立したら部屋は絶対これだ!と言うような凄いセットが組まれていた。
そこから少し離れた所にピンスポットで丸椅子と愛用のギター。
その後は、ディレクターの指示のままスタジオを行ったり来たり。
はい、本番5秒前!
ヘッドホンをつけた人の指が3、2、1、と示され本番突入!
ギターの弾き語りで歌わされ、仕事をしている風情でインタビューされ、応えているウチにCMへ。
その間、メイクを直され、また髪整えられて、またまた本番。
気付くと1時間出ずっぱりだったという訳だ。
話した内容は・・・・覚えていない。
全く思い出せない。
スッポリと抜け落ちたように記憶がない。
ライトがやたら眩しく暑かった事と、駆けてきたメイクさんの白い指しか記憶にない。
ヘトヘトになって楽屋に戻ると、これぞ業界人ってな、誰だか全く知らない人に「 なかなか良かったじゃん!坂根ちゃんでしたっけ?」
と声を掛けられた。
ちゃん、て・・・。
昔から変に馴れ馴れしい奴には、何だテメェは!と牙を向くタイプなのだが、その時はそんな気力など微塵も残っていなかった。
エヘラ・・・と笑うのが精一杯だったのである。
さて、税金抜いた出演料を頂き、多数の方に玄関まで送られ、再びハイヤーにて帰宅。
本当の恐怖はここから始まるのだが、この時の僕はそんな未来が待ち構えているなどとは夢にも思っていなかったのである。
テレビ出演の結果は1週間程で表れて来た。
局から仕事場に電話が来た。
「・・はい、もしもし・・」
「あ、どうもォ!
あのですねェえ、実はァ、局にィ、坂根さん宛の手紙なんぞが幾つか届いておりましてェ!
で、よろしければァ、お送りさせて頂きたいのですがァ。」
「・・・あ、はい。
けっこうですよ、そうして下さい。」
「あ、そうですかァ!それは助かりますゥ!
で、ですねーェ、今後ォ、もしもですよォ。
お手紙とかのォ、お問い合わせなんかあった場合にィ、直接出して貰えるようにィ、坂根さんのご住所とかお伝えしてもよろしいでしょうかねェ⁈」
・・・・ん?助かります?・・ん?・
少し引っ掛かったのだが、
「あ、いいッスよ。」
承諾してしまったのだ。
3日後、ダンボール箱イッパイの手紙が送られて来た。
そして・・・それから連日、知らない方々からの手紙が日に5通10通あるいはそれ以上、届くようになったのだ。
ある朝、通勤の電車の中で声をかけられた。
あの・・この前、テレビに出てた人ですよね!あの・・ファンです!一緒に写真撮って下さい!
・・・は⁈・・・え?・・・えぇぇぇーーー‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎
女子高生だった。
ファンて何⁈写真て何⁈
何言ってるの、このコ?
俺だよ!俺!
芸能人じゃないし!
蒔絵師だし!
修業中だし!
からかってんのか⁈
しかも満員電車だぜ・・。
意味が解らなかった。
翌朝、一緒に!てコが増えてた。
翌々朝、もっと増えてた。
もう断わり切れなかった。
そのコたちの降りる駅で一旦降りて、写真に撮られた。
おそらくかなり引きつった顔だっただろうと思う。
次の日から違う時間の電車に変えた。
仕事終わり、呑みに行くぞ!の師匠の掛け声!
先ず寿司屋へ!
そこで言われた。
あれ?お客さんこの間、テレビ出てなかった?
マジかよ‼︎
勘定が少しおまけしてあったと師匠が笑う。
で、そこからスナックへ。
みんなでボックスに座っていたら店の娘が言った。
あ!テレビ出てた人!
・・・カンベンしてくれよ。
今度は恨まれた。
お前だけモテたと・・・。
モテた訳じゃない。
根掘り葉掘り聞かれただけだ。
普通に街で買い物してた時に声をかけられた事もあった。
ウチに年頃の娘がいるんだが、どうか?と尋ねられた。
どうかも何もあったもんじゃない!
これはもうホラーの世界である。
こっちは知らないのに、他人はこっちを知っているのである。
こうなると、もう外を出歩く事も恐ろしい。
家に帰っても知らない名前の手紙の束。
もう、怖くて怖くて、友人のアパートに逃げ込んで、しばらくいた。
やがて、声をかけられる事もだんだんと無くなり、届く手紙も減っていき、僕自身もやっと落ち着いてきた。
ここまでに約3ヶ月以上かかったのだ。
誠にもって、マスメディアの力とは深く恐ろしいモノだと身に沁みて感じたものだ。
明言しておくが、僕は決してビジュアル的にカッコいいわけでも、ハンサムだった訳でもない。
もとより、自身の容姿には微塵も自信などない。
全てはマスコミの創り上げる力のなせる技だったのである。
あれから時は流れ、今やテレビの中は一般人で溢れている。
画面に映ったところでなにが変わる訳でもないらしい。
ついこの前の話しのようなのだが、まだまだテレビに映る事が特別だった頃の、何とも不思議で恐ろしい体験だった。
そう言えば、師匠のお得意先から番組を録画したビデオを頂いたのだが・・。
今、探しても見つからない。
沢山あった映画のビデオと一緒に、場所を取るからと捨ててしまったようだ。
今やDVD、ブルーレイとなり、モノがドンドンと薄く軽くなり、整理してしまった。
世の中も何だか薄く軽くなっているように感じるのは、歳のせいというモノだろうか。
因みに番組出演の夜、別れた彼女から電話があったが、「私がいなくてももう大丈夫ね!」という、
とっても上から目線のトドメを刺された事だけはしっかりと覚えている。
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